ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1949-1950とは? わかりやすく解説

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ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1949-1950

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 23:36 UTC 版)

Deutsche Fußballmeisterschaft
シーズン 1949-1950
優勝 VfBシュトゥットガルト
(1回目)
試合数 17
ゴール数 66 (1試合平均3.88)
得点王 ヘアバート・ヴォイトコヴィアクドイツ語版
(5点)
1948-1949
1950-1951

ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1949-1950ドイツサッカー協会によって開催された第41回目のクラブチーム全国大会である。VfBシュトゥットガルトが初優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2]

概要

戦後初めて、ドイチェ・マイスターシャフト本大会出場枠は8クラブから16クラブに拡大した。その理由は、ドイツ民主共和国のクラブを参加させようとした事にある。

実際、1950年5月にはDFBと東ドイツスポーツ委員会ドイツ語版との間で、DMの大会形式に関する話し合いが持たれていた。日刊新聞ベルリナー・ツァイトゥングドイツ語版は、「DDRマイスターシャフト1949-1950終了後、ホルヒ・ツヴィカウタバク・ドレスデンドイツ語版ワゴンバウ・デッサウドイツ語版が共和国を代表してドイチェ・マイスターシャフトに出場するだろう」と報じた。タバク・ドレスデンは、解散したSGドレスデン=フリードリヒシュタットドイツ語版の代理であった。結局合意に至らなかったが、その理由や経緯については双方主張が食い違っていて、詳しいところは不明である。

東ドイツスポーツ委員会はDFBに宛てた手紙で、両ドイツの選手が平等に競い合っていることをDMを通じて表現し、「統一ドイツ民主共和国」を達成したいという考えを伝えた。それはドイツ国家とスポーツの分断を企む勢力を一掃する、すべてのドイツ人による大きな統一国民戦線のことであり、東ドイツ人の考える「分断を企む勢力」とは、具体的には米国イギリスフランスの、西側連合国が名指しされていた[3]。なお、東ドイツの出場枠は、西ドイツの地方協会と同等のものが予定されていた。

16クラブ制への拡大に伴い、ベルリナー・シュタットリーガドイツ語版 (まだ東西に分断されていない[4])からは1位テニス・ボルシア・ベルリン (西ベルリン)に加えて、2位ウニオン・オーバーシェーネバイデドイツ語版 (東ベルリン) にもDM出場権が与えられた。これは新たな問題の発端だった。 オーバーシェーネバイデは、準々決勝のハンブルガーSV戦が行われるキールへの渡航許可を得られなかったのだが、大半の選手は諦めずに自己責任で境界線を越え、1950年5月28日シュタディオン・ヴァルトヴィーゼでHSVに0-7と大敗した。その後1950年6月9日、この選手たちは西ベルリンで、分派のSCウニオン06ベルリンドイツ語版を結成した[5]。その後ドイツ民主共和国 (東ドイツ)が樹立し、東ベルリンのクラブはシュタットリーガを脱退し、本家のウニオンオーバーシェーネバイデも東ドイツリーグに移籍した[5]

出場クラブ[1]

ハンブルガーSV フースバル・オーバーリーガ1949-1950ドイツ語版ノルト マイスター
FCザンクト・パウリ → オーバーリーガ・ノルト1949-1950準優勝
VfLオスナブリュック → オーバーリーガ・ノルト1949-1950三位
ボルシア・ドルトムント → オーバーリーガ・ヴェスト1949-1950マイスター
プロイセン・デルブリュックドイツ語版 → オーバーリーガ・ヴェスト1949-1950準優勝
ロート=ヴァイス・エッセン → オーバーリーガ・ヴェスト1949-1950 三位
STVホルスト=エムシャードイツ語版 → オーバーリーガ・ヴェスト1949-1950 四位
1.FCカイザースラウテルン → オーバーリーガ・ズュートヴェスト1949-1950マイスター
SSVロイトリンゲン05 → オーバーリーガ・ズュートヴェスト1949-1950 準優勝
TuSノイエンドルフ → オーバーリーガ・ズュートヴェスト1949-1950 三位
SpVggフュルト → オーバーリーガ・ズュート1949-1950]]マイスター
VfBシュトゥットガルト → オーバーリーガ・ズュート1949-1950 準優勝
キッカース・オッフェンバッハ → オーバーリーガ・ズュート1949-1950 三位
VfRマンハイムドイツ語版 → オーバーリーガ・ズュート1949-1950 四位
テニス・ボルシア・ベルリン → シュタットリーガ・ベルリン1949-1950マイスター
ウニオン・オーバーシェーネバイデドイツ語版 → シュタットリーガ・ベルリン準優勝

ラウンドオブ16

1950年5月21日 1.FCカイザースラウテルン 2 – 2
延長
ロート=ヴァイス・エッセン カールスルーエ  
F・ヴァルター  43分70分 アブロマイト  20分
テアマト  87分
競技場: ミュールブルガー・シュタディオン
観客数: 20,000
主審: Heuck (キール)
1950年5月21日 SpVggフュルト 3 – 2 STVホルスト­=エムシャー­ ヴォルムス  
シャーデ  43分
Hoffmann  62分85分
クロット  17分
Zielinski  29分
競技場: ヴォルマティア=シュタディオン
観客数: 25,000
主審: Rannersmann (ブレーメン)
1950年5月21日 プロイセン・デルブリュック 1 – 0
延長
SSVロイトリンゲン コブレンツ  
Severin  113分 競技場: シュタディオン・オーバーヴェルト
観客数: 20,000
主審: Szymalek (ベルリン)
1950年5月21日 ボルシア・ドルトムント 1 – 3 VfRマンハイム グラートベックドイツ語版  
Kasperski  32分 デ・ラ・フィーグネ  41分70分
Löttke  64分
競技場: シュターディオン・グラートベック
観客数: 38,000
主審: Burmeister (ハンブルク)
1950年5月21日 キッカース・オッフェンバッハ 3 – 1 テニス・ボルシア・ベルリン ミュンヘン  
カウフホルト  19分51分
ブーツ  63分
ハンス・ベアント  83分 観客数: 15,000
主審: Berndt (デュッセルドルフ)
1950年5月21日 FCザンクト・パウリ 4 – 0 TuSノイエンドルフ ハノーファー  
Kruppa  22分85分
Sump  54分
ベック  80分
競技場: シュタディオン・デア・ハウプトシュタット・ハノーファー
観客数: 15,000
主審: Ruhmann (レーゲンスブルク)
1950年5月28日 ハンブルガーSV 7 – 0 SCウニオン06ベルリン キール  
Woitkowiak  1分47分60分72分
Rohrberg  18分
アダムキエヴィチュ  29分31分
競技場: VfBプラッツ
観客数: 12,000
主審: Fink (フランクフルト・アム・マイン)

再試合

1950年5月29日 1.FCカイザースラウテルン 3 – 2
延長
ロート=ヴァイス・エッセン ケルン  
Baßler  55分
F・ヴァルター  70分
O・ヴァルター  116分
Kleina  31分
テアマト  36分
競技場: ミュンガースドルファー・シュタディオン
観客数: 45,000
主審: Gabriel (ハノーファー)

準々決勝

VfBシュトゥットガルト 5 – 2 1.FCカイザースラウテルン
シュリーエンツ  14分
Bühler  42分
Läpple  52分
Blessing  75分
Baitinger  78分
O・ヴァルター  50分83分
クルプ=シュターディオン・イム・ツァボ, ニュルンベルク
観客数: 38,000
主審: Hamm (エシュヴァイラー)

SpVggフュルト 2 – 1 FCザンクト・パウリ
Brenzke  36分 (pen.)
Nöth  45分
Zimmermann  48分
グリュックアウフ=カンプフバーン, ゲルゼンキルヘン
観客数: 20,000
主審: Hoppe (ベルリン)

キッカース・オッフェンバッハ 3 – 2 ハンブルガーSV
ブーツ  61分
Wirsching  81分
Weber  88分
アダムキエヴィチュ  4分
Woitkowiak  6分

プロイセン・デルブリュック 2 – 1 VfRマンハイム
Severin  49分
Drost  75分
デ・ラ・フィーグネ  63分

準決勝

VfBシュトゥットガルト 4 – 1 SpVggフュルト
Bühler  34分57分
Blessing  39分
Läpple  75分
シャーデ  11分

プロイセン・デルブリュック 0 – 0 キッカース・オッフェンバッハ

再試合

プロイセン・デルブリュック 0 – 3 キッカース・オッフェンバッハ
カウフホルト  1分
ハインリヒ・バース  73分
Weber  74分
ニーダーラインシュタディオン, オーバーハウゼン
観客数: 45,000
主審: Heuck (キール)

決勝

VfBシュトゥットガルト 2 – 1 キッカース・オッフェンバッハ
レプレ  17分
ビューラー  27分
ブーツ  47分
観客数: 95,051人
主審: エーリヒ・コマンスハオス (レーネ)
VfBシュトゥットガルト
  オットー・シュミート (サッカー選手)ドイツ語版
  ヨーゼフ・レードルドイツ語版
  リヒャート・シュタイムレドイツ語版
  エーリヒ・レッタードイツ語版
  エアヴィン・レップレドイツ語版
  ローバート・シュリーエンツドイツ語版
  エアンスト・オッターバッハドイツ語版
  カール・バルフカドイツ語版
  オットー・バイティンガードイツ語版
  ヴァルター・ビューラー
  ロルフ・ブレッシンドイツ語版
監督:
ゲオーク・ヴアツァードイツ語版
キッカース・オッフェンバッハ
  ヨーゼフ・シェッパードイツ語版
  ヴィリ・マーゲルドイツ語版
  フェアディナント・エンベアガードイツ語版
  ハインリヒ・バースドイツ語版
  クアト・シュライナードイツ語版
  ゲアハート・カウフホルトドイツ語版
  ホースト・ブーツドイツ語版
  アルバート・ヴィアシンドイツ語版
  ヴィルヘルム・ヴェーバー (サッカー選手)ドイツ語版
  アントン・ピーカートドイツ語版
  ヴィリ・カイムドイツ語版
監督
パウル・オスヴァルトドイツ語版

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b Pierre Winkler (4 Nov 2011). “Germany - Championships 1947-1963” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ Deutsche Meisterschaft 1949/1950 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Offener Brief des DS an den DFB, in: Neue Fußball-Woche Nr. 20/1950, Seite 3: Цarum es nicht zur ,Deutschen‘ kam“.
  4. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 174頁
  5. ^ a b リヒテンベルガー/秋吉 2005, 175頁

参考文献

  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 
  • Goergen, Jeanpaul: Fußball auf großer Leinwand. Die Deutsche Fußballmeisterschaft von 1950 in Wochenschau und Dokumentarfilm. In: Filmblatt, 17. Jg., Nr. 49 Sommer 2012, 61–73.

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