オリバー・カーンとは? わかりやすく解説

オリバー・カーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/10 08:32 UTC 版)

オリバー・カーン
2022年のカーン
名前
本名 オリヴァー・ロルフ・カーン
Oliver Rolf Kahn
愛称 オリー、ティターン
ラテン文字 Oliver KAHN
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1969-06-15) 1969年6月15日(55歳)
出身地 西ドイツカールスルーエ
身長 188cm
体重 91kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1975-1987 カールスルーエ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1990 カールスルーエII 73 (0)
1987-1994 カールスルーエSC 128 (0)
1994-2008 FCバイエルン・ミュンヘン 429 (0)
代表歴
1994-2006 ドイツ 86 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
アリアンツ・アレナで行われた引退試合の様子

オリバー・カーンOliver Rolf Kahn, 1969年6月15日 - )は、西ドイツカールスルーエ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。

野性味のあるプレーと風貌で人気選手となった。またエリア外からのシュートはめったに入らず当時世界最高のキーパーと呼ばれていた。ドイツサッカー界でも最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、同時にドイツ社会で発言力を持つサッカー選手の一人である。ゼップ・マイヤーハラルト・シューマッハーらと共にドイツサッカー史に残るGKの一人であり、欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、当時現役のゴールキーパーでは唯一選出された。

クラブ経歴

祖父母はラトビア出身。父もそこで生まれ、第二次世界大戦後にドイツへ来た[1]。祖父が誕生日にGKのユニフォームを買ってくれたのがGKを目指した理由と述べている[2]

16歳の時にはクラブチームの加入試験にことごとく落ちる。カールスルーエに加入するまでは筋力トレーニングなど雌伏の時期を過ごした。カールスルーエでは数年かかって正GKの座を確保した。

ブンデスリーガUEFAカップでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。初年度は味方ディフェンダークフォーと衝突し膝の十字靱帯を切断したためシーズンを棒に振ったが、翌年からは活躍を見せた。コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。

1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は大会史上に残る名勝負となったが[要出典]、終了直前の3分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。またドイツサッカー雑誌「キッカー」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年頃までドイツの各テレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。

2000-01シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。2002 FIFAワールドカップ後は、 私生活の問題もあってコンディションを落としたが、2004-05シーズンには完全復活した[要出典]

バイエルン・ミュンヘンとの契約が切れた2008年限りで現役を引退。2008年9月2日、ミュンヘンで引退記念試合が行われ、21年間の現役生活に終止符を打った。

代表経歴

ドイツ代表では、FIFAワールドカップを4回経験している。しかし、1994年大会にはボド・イルクナー1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。2006年大会では、守備範囲が広くハイボールに強いイェンス・レーマンとの正ゴールキーパーのポジション争いに敗れ、サブGKとして参加。3位決定戦のみの出場となった。

代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのはUEFA欧州選手権2000。しかし、この大会では実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退した。

2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加した。ドイツは2001年9月1日にミュンヘンで行われた日韓ワールドカップ地区予選、イングランド戦でマイケル・オーウェンのハットトリックなど5失点を喫し1-5で完敗するなど、苦戦の末の本大会出場ということもあって下馬評は高くなかった。しかし、ワールドカップ本選ではカーンはファインセーブを連発。 なかでも枠内シュートセーブ率93パーセントという数字を残した[要出典]。自身は決勝戦においてブラジル代表のジウベルト・シウバとの接触プレーにより靭帯損傷の怪我を負うが、そのままプレーを続行する気迫を見せた。最終的には準優勝に終わったものの、ゴールキーパーとして初のワールドカップMVPを獲得した。また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。

カーンにとって実質3度目の国際大会となるUEFA欧州選手権2004では、実力を発揮したものの、ドイツは2大会連続のグループリーグ敗退となった。

EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマンと正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と公言していたが、「冷静に考えてから答えを出す」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。

実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなどチームを盛り上げる姿を見せた。そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めると共に、好セーブを連発してチームの勝利に貢献した。この試合終了後、代表引退を正式に表明した。

引退後

引退後はサッカー解説者やブンデスリーガのアンバサダーとして活動していたが、2020年1月から古巣のバイエルン・ミュンヘンに執行役員として復帰。翌2021年7月からはカール=ハインツ・ルンメニゲの後任として、同クラブの最高経営責任者(CEO)に就任した[3]。しかし2023年5月、バイエルンがリーグ11連覇を達成した直後、CEOを解任された[4]

選手としての特徴

相手のシュートに対する反応の鋭さ、味方への正確なロングパス、チームメートを引っ張るリーダーシップを持つなど、優れたゴールキーパーであり、存在感もあった[5]。2021年1月にマヌエル・ノイアーに記録を更新されるまでリーグの最多クリンシート(無失点試合)記録を保持していた[6]

エピソード

  • 2001年3月3日に行われたハンザ・ロストック対バイエルン・ミュンヘンの試合において、シュテファン・エッフェンベルクが上げたコーナーキックを手でゴールを決めて、2枚目のイエローカードを貰って退場した。カーンの退場後は、ミヒャエル・タルナトがキーパーを務めた。
  • ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オリ カーン)」がある。旧・東ドイツの都市・ライプツィヒ出身の音楽グループのディー・プリンツェン (die Prinzen) によるこの曲は2002 FIFAワールドカップの頃に発売された。歌詞はドイツ語版・英語版以外に日本語版も存在する。2006年には再プレスも行われた[7]
  • 2006 FIFAワールドカップでは、ミュンヘン高速道路に横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板が作られた。これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かうこととなった。
  • 引退時のインタビューにおいて「これまで対戦してきた中で最も嫌だったFWは誰か?」との質問に「最強のFWだと思ったのはロナウドで間違いないが、最も嫌だったとなるとインザーギだな…。知っての通り、やつはスーパーFWってわけじゃない。だが、大事な試合のたびに、やつは俺からゴールを奪ってきた。いつもだ!あいつは何てイラつくやつなんだ!」と答えている[8]
  • 結婚歴と離婚歴がある[9]

個人成績

シーズン クラブ リーグ リーグ カップ UEFA主催 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
1987-88 カールスルーエ ブンデスリーガ 2 0 0 0 - 2 0
1988-89 2 0 0 0 - 2 0
1989-90 0 0 0 0 - 0 0
1990-91 22 0 0 0 - 22 0
1991-92 37 0 2 0 - 39 0
1992-93 34 0 5 0 - 39 0
1993-94 31 0 3 0 10 0 44 0
1994-95 バイエルン・ミュンヘン 23 0 2注1 0 5 0 30 0
1995-96 32 0 2 0 12 0 46 0
1996-97 32 0 4 0 2 0 38 0
1997-98 34 0 8 0 8 0 50 0
1998-99 30 0 8 0 13 0 51 0
1999-00 27 0 5 0 13 0 45 0
2000-01 32 0 4 0 16 0 52 0
2001-02 32 0 5 0 14 0 51 0
2002-03 33 0 6 0 6 0 45 0
2003-04 33 0 5 0 8 0 46 0
2004-05 32 0 7 0 10 0 49 0
2005-06 31 0 6 0 7 0 44 0
2006-07 32 0 3 0 9 0 44 0
2007-08 26 0 7 0 9 0 42 0
通算 557 0 82 0 142 0 781 0

注1 DFLスーパーカップの記録を含む。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 86試合 0得点(1995年-2006年)[10]


ドイツ代表 国際Aマッチ
出場 得点
1995 2 0
1996 3 0
1997 3 0
1998 7 0
1999 6 0
2000 10 0
2001 10 0
2002 15 0
2003 9 0
2004 11 0
2005 7 0
2006 3 0
通算 86 0

獲得タイトル

クラブ

  • トヨタカップ 2001
  • UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01
  • UEFAカップ 1995-96
  • ブンデスリーガ 8回(1996-97, 1998-99, 1999-2000, 2000-01, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08)
  • ドイツカップ 6回(1997-98, 1999-2000, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08)
  • ドイツリーグカップ 6回(1997, 1998, 1999, 2000, 2004, 2007)

代表

個人

著書

脚注

  1. ^ カーンに流れるラトビアの血
  2. ^ 【オリバー・カーン来日レポート】日本のファンと触れ合った濃密な3日間”. サッカーキング (2018年12月11日). 2021年3月3日閲覧。
  3. ^ バイエルン、ルンメニゲCEOが6月末に退任へ…後任はオリヴァー・カーン氏”. Soccer-king (2021年6月1日). 2022年1月6日閲覧。
  4. ^ サッカー=バイエルン、リーグ優勝もカーンCEOらを解任 - ロイター・2023年5月28日
  5. ^ 田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、109ページ、ISBN 4-591-09115-5
  6. ^ ノイアーがブンデス新記録を樹立! カーン氏を超え歴代最多クリーンシート数に”. www.soccer-king.jp (2021年1月25日). 2021年1月25日閲覧。
  7. ^ あの"Olli Kahn"が再プレス! - HMV・2006年6月16日
  8. ^ 引退のカーン、最も嫌だったFWは livedorr NEWS 2008年5月18日
  9. ^ カーン氏復縁した妻と離婚、自ら公表”. 日刊スポーツ (2009年8月19日). 2024年2月27日閲覧。
  10. ^ オリバー・カーン - National-Football-Teams.com

外部リンク


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