レネ・ファン・デ・ケルクホフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 00:20 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 |
ライニール・ランベルトゥス・ファン・デ・ケルクホフ Reinier Lambertus van de Kerkhof | |||||
愛称 | René | |||||
ラテン文字 | René van de Kerkhof | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1951年9月16日(71歳) | |||||
出身地 | ヘルモント | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1970-1973 |
![]() | 99 | (34) | |||
1973-1983 |
![]() | 278 | (85) | |||
1983-1984 |
![]() | 23 | (3) | |||
1984-1985 |
![]() | 14 | (8) | |||
1985-1988 |
![]() | 61 | (8) | |||
1988-1989 |
![]() | 30 | (3) | |||
代表歴 | ||||||
1973-1982 |
![]() | 47 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
レネ・ファン・デ・ケルクホフ(Reinier "René" Antonius van de Kerkhof, 1951年9月16日 - )は、オランダ・ヘルモント出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはFW(WG)。
同じくサッカー選手のウィリー・ファン・デ・ケルクホフは双子の兄。
略歴
FCトゥウェンテの下部組織出身。1970年にトップチーム昇格を果たす。1973年にPSVに移籍後は、ウイングとして活躍。その後、ギリシャ、香港、オランダ2部リーグでプレーし、現役生活を終えた。
1973年からはオランダ代表にも招集され、以降サイド攻撃の要として定着。ワールドカップは1974年と1978年に出場。1978年大会ではウィリーと共にオランダの準優勝に貢献した。
エピソード
1978年W杯決勝において、負傷部分を保護するためにルネが腕に巻いたバンデージに対戦国であるアルゼンチンが猛抗議し、試合開始が遅れるという事態になった。
出場大会
出典
- ^ “Rene van de Kerkhof - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
固有名詞の分類
オランダのサッカー選手 |
ディック・アドフォカート ジョージ・ボアテング レネ・ファン・デ・ケルクホフ ヴィム・ヨンク リヌス・イスラエル |
オランダのサッカー指導者 |
レオ・ベーンハッカー ディック・アドフォカート レネ・ファン・デ・ケルクホフ リヌス・イスラエル ヤン・ボウタース |
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