ピート・カイザーとは? わかりやすく解説

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ピート・カイザー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/17 05:18 UTC 版)

ピート・カイザー
1973年
名前
本名 ペートレス・ヨハンネス・カイザー
Petrus Johannes Keizer
ラテン文字 Piet Keizer
基本情報
国籍 オランダ
生年月日 (1943-06-14) 1943年6月14日
出身地 アムステルダム
没年月日 (2017-02-10) 2017年2月10日(73歳没)
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1961-1974 アヤックス 365 (146)
代表歴
1962-1974[1] オランダ 34 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ペートレス・ヨハンネス・カイザーPetrus Johannes Keizer1943年6月14日 - 2017年2月10日)は、オランダ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(ウインガー)。

経歴

カイザーは1961年にアヤックスで選手経歴を開始して以来、一貫してアヤックスでプレーを続け1974年に現役引退するまで364試合に出場し146得点を記録した。出場記録はクラブ史上第4位の記録である。

左ウイングのカイザーとセンターフォワードのヨハン・クライフのコンビは "royal pair"または"the starter and the finisher"と呼ばれ、1972年のUEFAチャンピオンズカップ決勝のインテル・ミラノ戦ではカイザーの精度の高いクロスからクライフが得点を決める場面も見られた。

高い実力の持ち主であり、一部専門家や選手からはクライフよりも高い評価をされていた[2]。しかし、その影には常にクライフの存在があり、次第に両者は険悪な関係となっていった。この争いは1974年にクライフと監督のリヌス・ミケルスがスペインのFCバルセロナへ移籍した事で終結した。

オランダ代表としても1962年の代表デビューから1974年までに国際Aマッチ34試合出場11得点を記録した。1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会にも出場し、当初はレギュラーと考えられていたが、1次リーグの スウェーデン戦以降、出場機会を失った[2]。そして、この年を最後に31歳の若さで現役引退した。

2017年2月10日、肺癌により死去[3]。73歳没[4]

脚注

  1. ^ “Piet Keizer - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/pkeizer-intl.html 
  2. ^ a b デイヴィッド・ウィナー『オレンジの呪縛』講談社、2008年。 
  3. ^ Ajax-icoon Piet Keizer (73) overleden”. Telegraaf.nl (2017年2月11日). 2017年7月17日閲覧。
  4. ^ Three-time European Cup winner and Ajax icon Piet Keizer dies, aged 73”. Goal.com (2017年2月11日). 2017年7月17日閲覧。

外部リンク




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