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テオ・デ・ヨング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 06:48 UTC 版)

テオ・デ・ヨング
1972年のデ・ヨング
名前
本名 テオドルス・ヤコブ・デ・ヨング
Theodorus Jacob de Jong
ラテン文字 Theo de Jong
基本情報
国籍 オランダ
生年月日 (1947-08-11) 1947年8月11日(77歳)
出身地 レーワルデン
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1966-1970 ブローウ=ヴィット
1970-1972 NEC 57 (20)
1972-1977 フェイエノールト 163 (60)
1977-1981 ローダ 125 (41)
1981-1983 セイコー 54 (15)
1983-1984 デン・ボス 28 (4)
代表歴
1972-1974 オランダ 15 (3)
監督歴
1984-1986 デン・ボス (アシスタント)
1986-1989 デン・ボス
1989-1992 FCズヴォレ
1992-1993 SCカンブール
1994-1996 ヴィレムII
1999 テルヴァリット・オウル
2001-2002 ゴー・アヘッド・イーグルス
2010 ヴィレムII
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

テオドルス・"テオ"・ヤコブ・デ・ヨング(Theodorus "Theo" Jacob de Jong、1947年8月11日)は、オランダフリースラント州レーワルデン出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはMF

選手経歴

1966年に当時エールステ・ディヴィジに所属していたFCブローウ=ヴィット・アムステルダム英語版でプロデビューし、1970-71シーズンから2シーズンを過ごしたNECナイメヘンを経て1972年にフェイエノールトへ引き抜かれた。同クラブでは加入1シーズン目の1970-71シーズンから1976-77シーズン連続でリーグ戦2桁得点を記録し、1973-74シーズンにはエールディヴィジUEFAカップ優勝の2冠を果たした[1]

オランダ代表としては1972年2月16日のギリシャ代表戦でデビューを飾った。2年後の1974 FIFAワールドカップでは全7試合中途中交代ながら4試合に出場し、西ドイツ代表との決勝戦にも68分から途中出場で決勝の舞台を踏んだ[2]

指導者経歴

1986-87シーズンからFCデン・ボスのトップチームの監督に就任してトップリーグの指導者キャリアをスタートさせた。指導者としては1部や2部のクラブで指揮を執ったが、いずれのクラブでもタイトルは獲得できずに2010年以降は監督業から身を置いている。

タイトル

クラブ

フェイエノールト
セイコーSC

脚注

  1. ^ Cloake, Martin; Fisher, Alan (2016). “Chapter 6: I go for the football but I don’t mind if the fighting’s there”. People's History of Tottenham Hotspur: How Spurs Fans Shaped the Identity of One of the World's Most Famous Clubs. Pitch Publishing. ISBN 978-1-78531-246-5. https://books.google.com/books?id=S07SDAAAQBAJ 
  2. ^ West Germans on top of the World”. Glasgow Herald (1974年7月8日). 2023年2月26日閲覧。

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