ヨゼフ・マソプストとは? わかりやすく解説

ヨゼフ・マソプスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 03:36 UTC 版)

ヨゼフ・マソプスト
名前
ラテン文字 Jozef Masopust
基本情報
国籍 チェコスロバキア
生年月日 (1931-02-09) 1931年2月9日
出身地 ストリミツェ
没年月日 (2015-06-29) 2015年6月29日(84歳没)
身長 170cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1945-1950 FKバニーク・モスト
1950-1952 ヴォドテフナ・テプリツェ
1952-1968 デュクラ・プラハ
1968-1970 RWDモレンベーク
代表歴
1954-1966 チェコスロバキア 63 (10)
監督歴
1973-1976 デュクラ・プラハ
1976-1980 ズブロヨフカ・ブルノ
1980-1984 KSCハッセルト
1984-1987 チェコスロバキア代表
1988-1991 インドネシア五輪代表
1992 ズブロヨフカ・ブルノ
1993-1996 FKペリカーン・ジェチーン
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヨゼフ・マソプスト(Josef Masopust, 1931年2月9日 - 2015年6月29日)は、チェコスロバキアチェコ)・ストリミツェ[注釈 1]出身のサッカー選手。ポジションはMF。1950年代から1960年代にかけてのチェコスロバキアを代表するサッカー選手で、1962年にはバロンドールを受賞した。

経歴

下部リーグのバニク・モストで頭角を現し、1950年に1部リーグのテプリツェと契約した。1952年、彼はスラヴィア・プラハへの移籍を希望していたが、結局ATKプラハへの加入を余儀なくされ、ここでキャリアのほとんどを過ごすことになる。当時、陸軍のクラブであるデュクラは兵役を利用した強制的な選手獲得を可能としていた。デュクラでは8回のリーグ優勝、3回のカップ優勝、1966-67シーズンUEFAチャンピオンズカップ準決勝進出に代表されるクラブの黄金期を支えた。

チェコスロバキア代表デビューは1954年10月24日ハンガリー戦。1962年ワールドカップ・チリ大会では中心選手として全試合に出場して準優勝の原動力となり、決勝のブラジル戦では敗れたものの先制点を挙げた。同年には、チェコスロバキア人初となるバロンドールを受賞している。

軍務から解放された1968年には37歳となっていたが、西側のクラブへ移籍してベルギーのRWDモレンベークで1部昇格に貢献した。

監督としてはTJズブロヨフカ・ブルノを率いて1977-78シーズンのチェコスロバキア国内リーグで優勝を経験。1984年から1987年まではチェコスロバキア代表監督を務めた。

2004年にチェコサッカー協会は自国のゴールデンプレイヤー(過去50年間の最優秀選手)としてマソプストを選んだ。同年、「FIFA 100」にも選ばれた。

2015年6月29日死去[1]。84歳没。

タイトル

選手時代

デュクラ・プラハ
  • リーグ:8回 (1953, 1956, 1958, 1961, 1962, 1963, 1964, 1966)
  • カップ:3回 (1961, 1965, 1966)
個人タイトル

監督時代

ズブロヨフスカ・ブルノ
  • リーグ:1回 (1978)

代表歴

脚注

注釈

  1. ^ マソプストの出身地はモストと書かれることが多いが、正確にはストリミツェ (Strimice) である。この小さな村は1960年代の炭鉱開発の際に取り壊され、モストの一部として組み込まれた。

出典

参考文献

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