ヨゼフ・マリア・オルブリッヒとは? わかりやすく解説

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ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 06:09 UTC 版)

ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ
生誕 1867年12月22日
オーストリア=ハンガリー帝国 トロッパウ
死没 (1908-08-08) 1908年8月8日(40歳没)
ドイツ帝国 デュッセルドルフ
国籍 オーストリア=ハンガリー帝国
出身校 ウィーン美術学校
職業 建築家
受賞 ローマ賞(1893年)
建築物 セセッション館
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セセッション館
結婚記念塔

ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ(Joseph Maria Olbrich, 1867年12月22日1908年8月8日)は、19世紀末から20世紀始めに活躍したオーストリア建築家

生涯

ウィーン美術アカデミーオットー・ワーグナーに建築を学び、ワーグナーの「建築は必要にのみ従う」という近代建築の理念を受け継いだ。

1897年にクリムトが結成したウィーン分離派に参加。展示施設のセセッション館(分離派会館、1898年完成)を設計した。

1899年には、ヘッセン大公であったエルンスト・ルートヴィヒの招聘を受け、総責任者としてダルムシュタット芸術家村「マチルダの丘」の建設の任務に当たった[1]。1901年に開村式が行われ、最初の展覧会が開催された。村内に芸術家の住まいや展示会場などが作られたが、そのほとんどがオルブリッヒが設計したものであった(ベーレンス自邸を除く)。特に大公の結婚を記念して建てられた結婚記念塔(1907年完成)が有名。5本指をモチーフにした特徴的なデザインを持つ。

1907年のドイツ工作連盟創立にも参加している。

ダルムシュタット芸術家村最後の展覧会が開催された1908年、40歳で死去した。

主要な作品

  • 分離派会館(ウィーン、1897–1898)
  • エルンスト・ルートヴィヒ館(ダルムシュタット、1900–1901)
  • 結婚記念塔(ダルムシュタット、1907–1908)
  • レオナルド・ティーツ百貨店(デュッセルドルフ、1907–1909)

脚注

  1. ^ 『ウィーン プラハ・ブダペスト 2016 まっぷるマガジン 海外』昭文社、2016年、50頁。ISBN 978-4-398-28119-7 

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