ジャウマ・サントスとは? わかりやすく解説

ジャウマ・サントス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 18:00 UTC 版)

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はディアス、第二姓(父方の姓)はドス・サントスです。
ジャウマ・サントス
名前
本名 ジャウマ・ペレイラ・ディアス・ドス・サントス
Djalma Pereira Dias dos Santos
ラテン文字 Djalma Santos
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1929-02-27) 1929年2月27日
出身地 サンパウロ
没年月日 (2013-07-23) 2013年7月23日(84歳没)
身長 172cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1948-1959 ポルトゥゲーザ 434 (11)
1959-1968 パルメイラス 498 (10)
1968-1972 アトレチコ-PR 32 (2)
代表歴
1952-1968 ブラジル 111 (11)
監督歴
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャウマ・ペレイラ・ディアス・ドス・サントスDjalma Pereira Dias dos Santos, 1929年2月27日 - 2013年7月23日)は、ブラジルサンパウロ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。

過去4度のワールドカップに出場し、うち1958年スウェーデン大会1962年チリ大会で2度の優勝を勝ち取った、ブラジル代表史上最高のディフェンダーの1人。その傑出した守備能力はもとより、好機時には右サイドを果敢に攻め上がり、ペレガリンシャらを擁する強力なブラジル攻撃陣の一翼を担った。37歳で引退するまでの代表キャップ数は非公式記録を含めると111を数え、ブラジル史上初めて代表100キャップを達成した選手として知られる。

レギュラーメンバーとして出場した1962年W杯チリ大会では、決勝の対チェコスロバキア戦において、3点目となるババのゴールをアシストしている。太陽が照りつける日中の試合で、高く放物線を描くロングフィードにより相手ゴールキーパーの目を眩ませるという頭脳的なプレーであった。

2004年、ペレが選ぶ偉大なサッカー選手「FIFA 100」の1人に選出された。

2013年7月23日ミナスジェライス州の病院で腎不全のため死去[1]。84歳没。

ニウトン・サントスとは、ワールドカップで3大会に渡り両サイドバックとしてコンビを組んだ。なお、血縁関係は無い。

代表歴

脚注

  1. ^ ジャウマ・サントス死去=ペレと共にW杯2連覇貢献=パルメイラス黄金期も支える ニッケイ新聞 2013年7月25日

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