ブランコ・オブラクとは? わかりやすく解説

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ブランコ・オブラク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/14 09:08 UTC 版)

ブランコ・オブラク
1967年のオブラク
名前
ラテン文字 Branko Oblak
基本情報
国籍 スロベニア
生年月日 (1947-05-27) 1947年5月27日(75歳)
出身地 リュブリャナ
身長 178cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF (OH)
ユース
0000-1965 スヴォボダ・リュブリャナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1973 オリンピア 181 (34)
1973-1975 ハイドゥク・スプリト 35 (9)
1975-1977 シャルケ04 49 (5)
1977-1980 バイエルン・ミュンヘン 71 (5)
1983-1985 シュピッタル
通算 336 (53)
代表歴
1970-1977 ユーゴスラビア 46 (6)
監督歴
1992-1994 ナクロ
1994 チルヌチェ
1994-1995 オリンピア
1998-2000 ルダル・ヴェレニエ
2000-2002 コペル
2002-2003 オリンピア
2004  スロベニア U-21
2004-2006 スロベニア
2007 ルダル・ヴェレニエ
2009-2010 オリンピア・リュブリャナ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ブランコ・オブラク(Branko Oblak、1947年5月27日 - )は、スロベニア (旧ユーゴスラビア)・リュブリャナ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。元ユーゴスラビア代表

経歴

1965年にNKオリンピア・リュブリャナでプロデビュー。オリンピア・リュブリャナでの8年間とHNKハイドゥク・スプリトでの2年間で評価を高め、1975年からは渡独し、FCシャルケ04FCバイエルン・ミュンヘンに在籍。1979-80シーズンにはバイエルン・ミュンヘンでブンデスリーガ優勝に貢献した。

1970年からは、数少ないスロベニア圏出身選手としてユーゴスラビア代表でプレーし、1974年に出場した1974 FIFAワールドカップでは大会ベストイレブンに輝いた。UEFA欧州選手権1976では、ベスト4のドイツ代表戦と3位決定戦のオランダ代表戦に出場してユーゴスラビア代表の大会4位を経験した。

現役を引退した1992年から指導者として活動し始め、主にスロベニアのクラブを率いた[1]。2004年から2年間はスロベニア代表の指揮を執った。

人物

2009-10シーズン、監督として指導にあたっていたNKオリンピア・リュブリャナにて、当時16歳だった同性 (血縁関係はない)のヤン・オブラクをトップチームデビューさせた[2]

脚注

  1. ^ Nogometni klub Olimpija Ljubljana”. nkolimpija.com (2011年8月28日). 2022年9月14日閲覧。
  2. ^ 16歳デビューは偶然だった? アトレティコに君臨する”世界最高級GK”誕生の秘話とは”. theWorld (2018年8月19日). 2022年9月14日閲覧。

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