ブランコ・ツルヴェンコフスキとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 海外の政治家 > マケドニア共和国の政治家 > ブランコ・ツルヴェンコフスキの意味・解説 

ブランコ・ツルヴェンコフスキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 16:09 UTC 版)

ブランコ・ツルヴェンコフスキ
Бранко Црвенковски
ブランコ・ツルヴェンコフスキ
生年月日 (1962-10-12) 1962年10月12日(60歳)
出生地 ユーゴスラビア(現 ボスニア・ヘルツェゴビナ)、 サラエヴォ
出身校 スコピエ大学
所属政党 マケドニア社会民主同盟

在任期間 1992年8月17日 - 1998年11月30日
大統領 キロ・グリゴロフ
在任期間 2002年11月1日 - 2004年5月12日
大統領 ボリス・トライコフスキ

在任期間 2004年5月12日 - 2009年5月12日
テンプレートを表示

ブランコ・ツルヴェンコフスキマケドニア語:Бранко Црвенковски1962年10月12日 - )は、北マケドニアの政治家。第3代大統領、第2・4代首相を歴任。

人物

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、現ボスニア・ヘルツェゴビナサラエヴォ生まれ。マケドニアの首都スコピエのスコピエ大学電気工学部を卒業後、1990年マケドニア社会民主同盟(SDSM)から国会議員に初当選し、マケドニアが独立した1991年に同党党首となって以来党首再選を続けている。

1992年、初めて首相(第2代)となり、アルバニア系政党も含めた連立政権を組閣、経済安定と民主化を進めるとともに、ギリシャとの間の国名を巡る紛争を妥協させ、国際連合への加盟を果たした。

1998年の総選挙で敗退し首相を降りるが、2002年の総選挙で勝利し、内部マケドニア革命組織・マケドニア国家統一民主党ボリス・トライコフスキ大統領のもとで再び首相(第4代)に就任した。

2004年2月26日にトライコフスキ大統領が事故死したのをきっかけとして、4月に行われた総選挙で社会民主同盟の候補となり、4月28日の決選投票で国家統一民主党の候補を破って第3代大統領に当選した。2009年5月12日に退任。

公職
先代
ボリス・トライコフスキ
マケドニア共和国大統領
第3代:2004 - 2009
次代
ジョルゲ・イヴァノフ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブランコ・ツルヴェンコフスキ」の関連用語

ブランコ・ツルヴェンコフスキのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブランコ・ツルヴェンコフスキのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブランコ・ツルヴェンコフスキ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS