ソル・キャンベルとは? わかりやすく解説

ソル・キャンベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/10 09:04 UTC 版)

ソル・キャンベル
名前
本名 スルジール・ジェレマイア・キャンベル
Sulzeer Jeremiah Campbell
ラテン文字 SOL CAMPBELL
基本情報
国籍 イングランド
ジャマイカ
生年月日 (1974-09-18) 1974年9月18日(50歳)
出身地 ロンドン ニューハム区プレイストウ
身長 189cm
体重 91kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-2001 トッテナム 255 (10)
2001-2006 アーセナル 135 (8)
2006-2009 ポーツマスFC 95 (2)
2009 ノッツ・カウンティ 1 (0)
2010 アーセナル 11 (0)
2010-2011 ニューカッスル 7 (0)
通算 504 (20)
代表歴
イングランド U-15
イングランド U-16
イングランド U-18
1994-1996 イングランド U-21 11 (2)
1994-2006 イングランド B 2 (0)
1996-2007 イングランド[1] 73 (1)
監督歴
2018-2019 マクルズフィールド・タウン
2019-2020 サウスエンド・ユナイテッド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ソル・キャンベルSol Campbell)ことスルジール・ジェレマイア・キャンベルSulzeer Jeremiah Campbell, 1974年9月18日 - )は、イギリスロンドン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元イングランド代表。現役時代のポジションはDF。両親はジャマイカからの移民である。

イングランド代表チームのバックラインを支えたディフェンダー。一時期は代表でキャプテンを務めたこともある。

若年期

キャンベルはストラトフォードでジャマイカ人の両親、鉄道従業員の父シュウェルとフォード工員の母ヴィルヘルミーネの間に12人兄弟・姉妹(うち9人が男の子)の末っ子として生まれた。ストラトフォードのポートウェイ・プライマリ学校に通った。

クラブ経歴

トッテナム

トッテナムと契約した当初はストライカーだった。トップチームデビューは1992年12月のチェルシー戦である。のちにCBにコンバートされ、以降長年にわたりDFラインを支えた。

アーセナル

2001年に加入。ダービーマッチ相手となるライバルチームへの移籍であるため両チームサポーターからは賛否両論が起こった。さらに、当時キャプテンであった事や移籍金さえ残さなかったことがトッテナムサポーターの怒りを呼び、「'''Judas(ユダ)'''」と非難された[2]

2005年に不調の時期があったが、2006年に入ってからは本来の調子を取り戻し、チャンピオンズリーグ決勝のFCバルセロナ戦では先制点を挙げたが、チームは準優勝に終わった。シーズン終了後に契約満了でアーセナルを退団した。

ポーツマス

2006年8月8日に完全移籍した。ポーツマスではレギュラーのセンターバックを務め、ポーツマス躍進の原動力となった。2008年にはFAカップを制覇した。また、キャプテンにも任命された。

ノッツ・カウンティ

2009年8月25日、フットボールリーグ2ノッツ・カウンティに移籍した。しかし、クラブ側の強化戦略などに不満を抱き、9月24日に契約を破棄。5年契約を結んでいたが、わずか29日間での退団となった[3]

アーセナル

ノッツ・カウンティ退団後は古巣アーセナルの練習に参加することを許可され、調整を続けた。監督のアーセン・ヴェンゲルは当初はキャンベルと契約を結ぶつもりはないとしていたが、練習態度などが評価され2010年1月12日に正式に復帰した[4]

シーズン終了後、契約満了によりアーセナルを退団。

ニューカッスル・ユナイテッド

2010年7月28日、ニューカッスルへ移籍することが発表された[5]。しかし、ニューカッスルでは出場機会に恵まれず、シーズン終了後に退団した。

2012年5月2日に現役を引退した[6]

代表経歴

1996年5月18日のハンガリー戦で代表デビューを果たした。その後1998年のフランスW杯では守備の要を担った。

2002年の日韓W杯、2004年のEURO2004にも出場した。

W杯ドイツ大会ではジョン・テリーリオ・ファーディナンドの控えに甘んじ、出場機会はスウェーデン戦での交代出場による1試合のみにとどまった。

監督歴

2018年11月27日、マクルズフィールド・タウンFCの監督に就任した[7]。2019年8月15日、監督を退任した[8]

2019年10月22日、サウスエンド・ユナイテッドFCの監督に就任した[9]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 73試合 1得点(1996年-2007年)[10]


イングランド代表 国際Aマッチ
出場 得点
1996 3 0
1997 9 0
1998 12 0
1999 5 0
2000 8 0
2001 5 0
2002 10 1
2003 4 0
2004 8 0
2005 2 0
2006 3 0
2007 4 0
通算 73 1

出典

  1. ^ “England Players - Sol Campbell” (英語). England Football Online. http://www.englandfootballonline.com/TeamPlyrsBios/PlayersC/BioCampbellSJ.html 
  2. ^ Sol Campbell on how he is still a 'Judas', 17 years after ditching Spurs for Arsenal” (英語). The Sun (2018年12月1日). 2021年5月7日閲覧。
  3. ^ キャンベル 約束を守らなかったノッツ・カウンティを退団AFP 2009年9月28日
  4. ^ ソル・キャンベルがアーセナル復帰Goal.com 2010年1月13日
  5. ^ ソル・キャンベルはニューカッスルへ アーセナル公式サイト 2010年7月29日
  6. ^ 元イングランド代表のキャンベルが引退Goal.com 2012年5月3日
  7. ^ 元アーセナルのソル・キャンベル氏が英4部で監督に就任”. 超ワールドサッカー (2018年11月28日). 2021年5月7日閲覧。
  8. ^ 元アーセナルのキャンベル氏、マクルズフィールド・タウン指揮官を退任”. 超ワールドサッカー (2019年8月16日). 2021年5月7日閲覧。
  9. ^ 元アーセナルのキャンベル氏、イングランド3部で監督就任”. 超ワールドサッカー (2019年10月23日). 2021年5月7日閲覧。
  10. ^ ソル・キャンベル - National-Football-Teams.com

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ソル・キャンベル」の関連用語

ソル・キャンベルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ソル・キャンベルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのソル・キャンベル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS