レイカーズ王朝時代の到来とは? わかりやすく解説

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レイカーズ王朝時代の到来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 14:11 UTC 版)

1999-2000シーズンのNBA」の記事における「レイカーズ王朝時代の到来」の解説

ロサンゼルス・レイカーズミネアポリス時代NBA初期三連覇を含む5度優勝果たし1970年代ジェリー・ウェストウィルト・チェンバレン時代にも1度優勝80年代には稀代スター選手マジック・ジョンソンカリーム・アブドゥル=ジャバーらを中心に"ショータイム"バスケット展開し連覇を含む5度優勝を果たすなど、東のボストン・セルティックスと並ぶリーグ随一名門チームだった。そのレイカーズマジック・ジョンソン突然の引退などで、世界中空前NBAブーム起きていた90年代はやや不遇の時代過ごしていた。そのレイカーズが再浮上切っ掛け掴んだのはニック・バン・エクセルセドリック・セバロスエディー・ジョーンズらの活躍にあったが、それでも50勝がやっとで、ウエスト強豪チーム対抗するにはやや物足りない陣容だった。彼らが真の強豪地位取り戻すのは、シャキール・オニール合流を待たなければならなかった。 そしてオニールレイカーズにやってきた1996-97シーズンレイカーズ56勝、翌シーズンには高卒選手コービー・ブライアント加入し、さらに成績上げてリーグ屈指となる61勝を記録レイカーズ頂点返り咲く日は近いかに思われた。 アキーム・オラジュワンキャリア終盤迎え、もはやリーグにはオニール対抗できるセンターは殆ど居なくなっていたが、オニールマジック時代から膝と腹部慢性的な故障抱えており、本来の実力発揮できないでいた。また彼の唯我独尊的な性格がしばしば問題となり、著し成長見せブライアント我侭ぶりではオニール引けを取らなかった。一見順風満帆見えレイカーズチームの内情決し良好とは言えず、1998-99シーズン勝率落としプレーオフではカンファレンス準決勝サンアントニオ・スパーズスイープ負け喫したレイカーズには彼らを導く指導者必要だったレイカーズにとってフィル・ジャクソン適任ヘッドコーチだった。シカゴ・ブルズ時代6度優勝実績としては十分過ぎるものであり、またマイケル・ジョーダンという暴れ馬上手く御したという点が、当時レイカーズには何より必要なものだった。ジャクソンブルズ時代同様トライアングル・オフェンス導入し、またジェリー・ウェストGMオニールブライアントサポートするため優秀なロールプレイヤーを集めるため、レイカーズ再興支えたエクセルエディー・ジョーンズらは放出し優勝経験を持つロバート・オーリーシューターグレン・ライスブルズ時代後期スリーピート支えたロン・ハーパーショータイム時代数少ない生き残りであるA.C.グリーンらを獲得した優秀な指導者に充実した陣容ブライアント更なる成長などで一段レベルアップしたレイカーズは、さらに故障悩まされ続けオニールがこのシーズン初めシーズン通して健康に過ごしレイカーズリーグ席巻史上屈指となる67勝を記録し、また史上4番目となる19連勝記録したオニール自身2度目となる得点王輝き、またオールスターMVP獲得。さらに自身初のシーズンMVPにも輝き得点王オールスターMVPシーズンMVP三冠達成した。 最高のシーズン送ったレイカーズだが、プレーオフではウエスト強豪たちがレイカーズ前に立ちはだかった1回戦では急速に力をつけてきたサクラメント・キングス対決レギュラーシーズン成績では遥かに上回るレイカーズは、このキングスにあわや1回戦敗退というところまで追い込まれたが、3勝2敗で辛うじて退けたキングスとはこの年皮切りに3年連続プレーオフ対戦しレイカーズ数々名勝負演じることになる。カンファレンス準決勝ではフェニックス・サンズを4勝1敗で降すが、カンファレンス決勝ポートランド・トレイルブレイザーズとのシリーズレイカーズまたもや苦戦強いられた新旧スター選手掻き集めるブレイザーズはこのシーズンには、フィル・ジャクソン数々栄光を共にしたスコッティ・ピッペン加わっており、タレント豊富さではレイカーズをも凌ぐのだった。第1戦ではラシード・ウォーレステクニカルファウルによる退場などでレイカーズ完勝したが、第2戦では77-106と、レイカーズにとってこのシーズンホームでの最大敗北喫したオレゴン州ポートランド戦いの場を移して以降は2連勝を飾るも、続く第5戦、第6戦で連敗喫しシリーズは第7戦までもつれ込んだ。1勝3敗からの起死回生演じたブレイザーズは、その余勢を駆って第7戦も優位に進め第4Q入って15得点リード奪っていた。レイカーズ窮地に立たされたかに見えたが、ここからブレイザーズ重度のシュートスランプに陥り、13連続でシュートミスしてしまう。その間一気追い上げ見せたレイカーズは89-84でこの試合制しブレイザーズ自滅救われる形で、1991年以来となるファイナル進出果たした。 東を制したのはインディアナ・ペイサーズだった。レジー・ミラー擁し90年代ニューヨーク・ニックスなどと数々名勝負繰り広げてきたペイサーズは、王者ブルズあと一歩のところまで追い詰めた1997-98シーズンチームとして一つ頂点迎えた以後ミラーリック・スミッツマーク・ジャクソンなど主力選手高齢化問題となり始めたペイサーズベテランアントニオ・デイビス放出するなど、チーム内の世代交代進めようとした。 そしてペイサーズの新シーズン当人たちにとっても予想上の好調なシーズンとなった。このシーズンからペイサーズコンセコ・フィールドハウス本拠地移したが、ペイサーズはこの新しアリーナホーム25連勝記録最終的に57勝でカンファレンストップの成績収めたチーム快進撃支えたジェイレン・ローズは最も成長した選手贈られるMIP選ばれた。 プレーオフでは1回戦でトラヴィス・ベストのクラッチ3Pシュートで3勝2敗の末にミルウォーキー・バックス降すと、カンファレンス準決勝フィラデルフィア・76ersを4勝2敗で破りカンファレンス決勝では宿敵ニューヨーク・ニックス対決前年は同じ舞台でニックス前に敗れたが、今回は4勝2敗でペイサーズ勝利しペイサーズNBA加盟以来初となるファイナル進出果たした。元ABAチームファイナル進出は、前季のサンアントニオ・スパーズ続き2年連続となった

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レイカーズ王朝時代の到来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 22:31 UTC 版)

1948-1949シーズンのBAA」の記事における「レイカーズ王朝時代の到来」の解説

ジョージ・マイカン擁するミネアポリス・レイカーズ圧倒的な力を見せ付けて優勝するワシントン・キャピトルズはマイカンにボーンズ・マッキーニーを当てるもまるで歯が立たなかった。この優勝はレイカーズ王朝時代の到来を告げと共に優秀なビッグマン獲得こそが成功の道であることを知らしめた。 表 話 編 歴 ミネアポリス・レイカーズ 1948-49BAA優勝 10 ハーム・シェーファー |11 ビリー・ハセット |13 トニー・ヤロシュ |14 アール・ガードナー | 15 ドン・カールソン |16 ジョニー・ヨルゲンセン |17 ジム・ポラード |18 アーニー・フェリン |19 ジャック・ドゥワン |20 Whitey Kachan |22 ドニー・フォーマン |99 ジョージ・マイカン |コーチジョン・クンドラ

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