レイカーズ王朝時代の到来
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「1999-2000シーズンのNBA」の記事における「レイカーズ王朝時代の到来」の解説
ロサンゼルス・レイカーズはミネアポリス時代のNBA初期に三連覇を含む5度の優勝を果たし、1970年代のジェリー・ウェスト、ウィルト・チェンバレン時代にも1度の優勝、80年代には稀代のスター選手、マジック・ジョンソンやカリーム・アブドゥル=ジャバーらを中心に"ショータイム"バスケットを展開し、連覇を含む5度の優勝を果たすなど、東のボストン・セルティックスと並ぶリーグ随一の名門チームだった。そのレイカーズもマジック・ジョンソンの突然の引退などで、世界中に空前のNBAブームが起きていた90年代はやや不遇の時代を過ごしていた。そのレイカーズが再浮上の切っ掛けを掴んだのはニック・バン・エクセルやセドリック・セバロス、エディー・ジョーンズらの活躍にあったが、それでも50勝がやっとで、ウエストの強豪チームに対抗するにはやや物足りない陣容だった。彼らが真の強豪の地位を取り戻すのは、シャキール・オニールの合流を待たなければならなかった。 そしてオニールがレイカーズにやってきた1996-97シーズン、レイカーズは56勝、翌シーズンには高卒選手のコービー・ブライアントも加入し、さらに成績を上げてリーグ屈指となる61勝を記録。レイカーズが頂点に返り咲く日は近いかに思われた。 アキーム・オラジュワンもキャリア終盤を迎え、もはやリーグにはオニールに対抗できるセンターは殆ど居なくなっていたが、オニールはマジック時代から膝と腹部に慢性的な故障を抱えており、本来の実力を発揮できないでいた。また彼の唯我独尊的な性格がしばしば問題となり、著しい成長を見せるブライアントも我侭ぶりではオニールに引けを取らなかった。一見順風満帆に見えるレイカーズもチームの内情は決して良好とは言えず、1998-99シーズンは勝率を落とし、プレーオフではカンファレンス準決勝でサンアントニオ・スパーズにスイープ負けを喫した。レイカーズには彼らを導く指導者が必要だった。 レイカーズにとってフィル・ジャクソンは適任のヘッドコーチだった。シカゴ・ブルズ時代の6度の優勝は実績としては十分過ぎるものであり、またマイケル・ジョーダンという暴れ馬を上手く御したという点が、当時のレイカーズには何より必要なものだった。ジャクソンはブルズ時代同様トライアングル・オフェンスを導入し、またジェリー・ウェストGMはオニールとブライアントをサポートするため優秀なロールプレイヤーを集めるため、レイカーズの再興を支えたエクセルやエディー・ジョーンズらは放出し、優勝経験を持つロバート・オーリー、シューターのグレン・ライス、ブルズ時代に後期スリーピートを支えたロン・ハーパー、ショータイム時代の数少ない生き残りであるA.C.グリーンらを獲得した。 優秀な指導者に充実した陣容、ブライアントの更なる成長などで一段階レベルアップしたレイカーズは、さらに故障に悩まされ続けるオニールがこのシーズンは初めてシーズンを通して健康に過ごし、レイカーズはリーグを席巻。史上屈指となる67勝を記録し、また史上4番目となる19連勝も記録した。オニールは自身2度目となる得点王に輝き、またオールスターMVPも獲得。さらに自身初のシーズンMVPにも輝き、得点王、オールスターMVP、シーズンMVPの三冠を達成した。 最高のシーズンを送ったレイカーズだが、プレーオフではウエストの強豪たちがレイカーズの前に立ちはだかった。1回戦では急速に力をつけてきたサクラメント・キングスと対決。レギュラーシーズンの成績では遥かに上回るレイカーズは、このキングスにあわや1回戦敗退というところまで追い込まれたが、3勝2敗で辛うじて退けた。キングスとはこの年を皮切りに3年連続でプレーオフで対戦し、レイカーズと数々の名勝負を演じることになる。カンファレンス準決勝ではフェニックス・サンズを4勝1敗で降すが、カンファレンス決勝のポートランド・トレイルブレイザーズとのシリーズでレイカーズはまたもや苦戦を強いられた。 新旧スター選手を掻き集めるブレイザーズはこのシーズンには、フィル・ジャクソンと数々の栄光を共にしたスコッティ・ピッペンが加わっており、タレントの豊富さではレイカーズをも凌ぐものだった。第1戦ではラシード・ウォーレスのテクニカルファウルによる退場などでレイカーズが完勝したが、第2戦では77-106と、レイカーズにとってこのシーズン、ホームでの最大の敗北を喫した。オレゴン州ポートランドに戦いの場を移して以降は2連勝を飾るも、続く第5戦、第6戦で連敗を喫し、シリーズは第7戦までもつれ込んだ。1勝3敗からの起死回生を演じたブレイザーズは、その余勢を駆って第7戦も優位に進め、第4Qに入っても15得点のリードを奪っていた。レイカーズは窮地に立たされたかに見えたが、ここからブレイザーズは重度のシュートスランプに陥り、13本連続でシュートミスしてしまう。その間一気に追い上げを見せたレイカーズは89-84でこの試合を制し、ブレイザーズの自滅に救われる形で、1991年以来となるファイナル進出を果たした。 東を制したのはインディアナ・ペイサーズだった。レジー・ミラーを擁し、90年代にニューヨーク・ニックスなどと数々の名勝負を繰り広げてきたペイサーズは、王者ブルズをあと一歩のところまで追い詰めた1997-98シーズンにチームとして一つの頂点を迎えた。以後、ミラー、リック・スミッツ、マーク・ジャクソンなど主力選手の高齢化が問題となり始めたペイサーズはベテランのアントニオ・デイビスを放出するなど、チーム内の世代交代を進めようとした。 そしてペイサーズの新シーズンは当人たちにとっても予想以上の好調なシーズンとなった。このシーズンからペイサーズはコンセコ・フィールドハウスに本拠地を移したが、ペイサーズはこの新しいアリーナでホーム25連勝を記録。最終的には57勝でカンファレンストップの成績を収めた。チームの快進撃を支えたジェイレン・ローズは最も成長した選手に贈られるMIPに選ばれた。 プレーオフでは1回戦でトラヴィス・ベストのクラッチ3Pシュートで3勝2敗の末にミルウォーキー・バックスを降すと、カンファレンス準決勝でフィラデルフィア・76ersを4勝2敗で破り、カンファレンス決勝では宿敵ニューヨーク・ニックスと対決。前年は同じ舞台でニックスの前に敗れたが、今回は4勝2敗でペイサーズが勝利し、ペイサーズがNBA加盟以来初となるファイナル進出を果たした。元ABAチームのファイナル進出は、前季のサンアントニオ・スパーズに続き2年連続となった。
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レイカーズ王朝時代の到来
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「1948-1949シーズンのBAA」の記事における「レイカーズ王朝時代の到来」の解説
ジョージ・マイカン擁するミネアポリス・レイカーズが圧倒的な力を見せ付けて優勝する。ワシントン・キャピトルズはマイカンにボーンズ・マッキーニーを当てるもまるで歯が立たなかった。この優勝はレイカーズ王朝時代の到来を告げると共に、優秀なビッグマンの獲得こそが成功の道であることを知らしめた。 表 話 編 歴 ミネアポリス・レイカーズ 1948-49BAA優勝 10 ハーム・シェーファー |11 ビリー・ハセット |13 トニー・ヤロシュ |14 アール・ガードナー | 15 ドン・カールソン |16 ジョニー・ヨルゲンセン |17 ジム・ポラード |18 アーニー・フェリン |19 ジャック・ドゥワン |20 Whitey Kachan |22 ドニー・フォーマン |99 ジョージ・マイカン |コーチ:ジョン・クンドラ
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