レイカーズの壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 14:23 UTC 版)
早くもNBAにおける最大の成功を手にしてしまったダンカンだったが、チャンピオンチームとして臨んだ1999-00シーズンも慢心することなく、平均23.2得点12.4リバウンドを記録してもはや常連となったオールNBA1stチーム、ディフェンシブ1stチームに選ばれると共に、24得点14リバウンド4アシストをあげたオールスターゲームではシャキール・オニールと共にオールスターMVPを共同受賞した。しかしスパーズ自体はチームの高齢化に悩む時期に入っており、デビッド・ロビンソンやエイブリー・ジョンソン、ショーン・エリオット、マリオ・エリーら主力選手は皆30代半ばに入っており、チーム全体に疲弊が見られ、このシーズンは53勝29敗とチャンピオンチームとしてはやや物足りない成績に終わった。また前年ついに優勝を果たしたスパーズだったが、通常の82試合を戦い抜いた上での優勝ではないため「本物の優勝ではない」という声が周囲からあがっており、正当な評価を受けるためにもスパーズとダンカンには連覇の期待が掛かったが、ダンカンは肝心のプレーオフでチームの力になれなかった。ダンカンはレギュラーシーズン終盤で負った怪我が回復せず、プレーオフ全休を強いられ、チームのエースを失ったスパーズは1回戦でサンズの前に敗退してしまった。このオフにフリーエージェントとなったダンカンはオーランド・マジックからオファーを受け、一時は移籍寸前までいったが、バカンス中だったロビンソンが慌ててダンカンのもとを訪れ、スパーズに残留するよう説得。結局ダンカンはマジックのオファーを断って、スパーズと再契約を結んだ。 翌2000-01シーズンに怪我から回復したダンカンは平均22.2得点12.4リバウンド、オールNBA、ディフェンシブ両チームで1stチーム入りするという例年通りの成績を残し、スパーズもデレック・アンダーソン、アントニオ・ダニエルズといった若い血をチームに注ぎ、前年を上回る58勝24敗を記録。プレーオフでは1回戦でティンバーウルブズを3勝1敗で、カンファレンス準決勝では後にダンカンとスパーズの強力なライバルとなるダーク・ノヴィツキー擁するダラス・マーベリックスとの初対決を4勝1敗で制し、ここまで順調に勝ち上がったが、カンファレンス決勝で前年チャンピオンのロサンゼルス・レイカーズが立ちはだかる。シャキール・オニールにコービー・ブライアントという強力なデュオに率いられ、当時黄金期を迎えていたレイカーズにスパーズは全く歯が立たず、屈辱の4戦全敗を喫した。ダンカンはシリーズ第2戦で40得点をあげるなど奮戦したが、第3戦では9得点、第4戦では15得点に終わるなど不甲斐ない場面も見られた。スポーツ・イラストレイテッド誌はこのシリーズのスパーズを哀れみをもって「無慈悲で不公平な組み合わせ」と評し、またダンカンを「スパーズが最も必要とする時に消えてしまう」と酷評した。 2季連続で期待外れの結果に終わったスパーズとダンカンだったが、2001-02シーズンのダンカンは個人としては絶頂期を迎えた。ダンカンはキャリアで初めてとなる平均40分以上の出場を果たし、キャリアハイとなる平均25.5得点を記録。他にも12.7リバウンド3.7アシスト2.5ブロックと多くの部門で軒並み高い数字を残し、シーズン通算1,042リバウンド、フィールドゴール成功数764本、フリースロー成功数560本はリーグ1位となった。また苦手としているフリースローでも成功率.799とダンカンとしては非常に良い数字を残してる。当然のようにオールNBA、ディフェンシブ1stチームに選ばれると共に、シーズンMVPも初受賞した。スパーズは新たにブルース・ボウエンとスティーブン・ジャクソンを獲得し、このシーズンも58勝24敗の好成績を維持したが、プレーオフでは結果を残せなかった。1回戦では全盛期を遥かに過ぎたシアトル・スーパーソニックスに3勝2敗にまで粘られると、カンファレンス準決勝ではまたもやレイカーズの前に1勝4敗で完敗。ダンカンはこのシリーズで平均29.0得点17.2リバウンドの成績で前年の酷評を打ち消す大活躍だったが、スパーズはロビンソンが36歳となっており、ダンカンをサポートできる選手の補強が急務となった。
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