9世紀から12世紀とは? わかりやすく解説

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9世紀から12世紀(平安時代中・後期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 00:34 UTC 版)

陸奥国司」の記事における「9世紀から12世紀(平安時代中・後期)」の解説

9世紀初めに現在の岩手県征服すると、陸奥国領域もそれにともなって北に拡張した。しかし新領土には従来国府にあった鎮守府移転し国司ではなく鎮守府官人支配した。これ以降鎮守府は、陸奥国の上ではなく同格でやや下に位置づけられた。 一方陸奥按察使は、遥任前提にして中央の公卿任命されるようになり、陸奥守との兼任なくなった陸奥守の上下関係は実質をともなわなくなった軍事重視陸奥守・介任命9世紀以降引き続くが、9世紀の守・介には大伴改め伴氏のほか坂上田村麻呂出した坂上氏小野氏が目だち、藤原氏比重も高まる。10世紀に入ると伴氏などは消え藤原氏桓武平氏多数占めた清和源氏がはじめて見えるのは10世紀末の源満政で、源頼義義家父子11世紀半ば陸奥守になって前九年の役と後三年の役戦った清和源氏系図陸奥守記される者が多いが、他の史料就任確認できるのはその3人と義家の弟義綱だけで、12世紀通じて陸奥国に縁がなかった。結局平安後期陸奥守・介で一番多いのは藤原氏である。 奥州土着の勢力である安部氏・(出羽清原氏は、もっぱら鎮守府管轄になる陸奥国北部で力をふるったが、その威勢地域的に局限され中部以南における陸奥国司職権根本的に脅かすものではなかった。しかし奥州藤原氏、特に藤原秀衡勢威陸奥国司権限浸食まで及んだ。秀衡は数年鎮守府将軍陸奥守だったが、免官の後も実質的な奥羽支配者として君臨した。ただその支配程度については、軍事警察分野にとどまるという説から、行政権奥州藤原氏本拠である平泉移転したとみる説まで分かれる

※この「9世紀から12世紀(平安時代中・後期)」の解説は、「陸奥国司」の解説の一部です。
「9世紀から12世紀(平安時代中・後期)」を含む「陸奥国司」の記事については、「陸奥国司」の概要を参照ください。

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