9世紀の東三条殿とは? わかりやすく解説

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9世紀の東三条殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/20 15:13 UTC 版)

東三条殿」の記事における「9世紀の東三条殿」の解説

二中歴』・『拾芥抄』にその所在地とともに忠仁公藤原良房804年 - 872年)の家と見え貞信公藤原忠平880年 - 949年)、藤原兼家929年 - 990年)が伝領したほか、重明親王906年 - 954年)の家であったとも伝えるが、初期の伝領関係や使用歴には不明な点が多い。良房主たる邸宅としては、平安京北東東一条殿(小一条殿、父藤原冬嗣から伝領)や染殿があり、同時代記録上に東三条殿の名は見えないちなみに右京にあった藤原良相邸宅西三条殿と呼ばれた一方東三条殿の西には、西洞院大路挟んで、冬嗣の邸宅であった閑院(後に藤原基経邸、藤原兼通邸、藤原公季邸)があり、その更に西には堀河殿(基経邸、後に兼通邸)があった。 記録の上では、『日本紀略仁和4年888年)に太政大臣藤原基経邸宅として「東京三条第」が見える。次いで寛平5年893年8月寛平9年8月に「太上皇皇后東三条院遷御した」と見えそのまま当時の上皇に比定するとそれぞれ陽成上皇宇多上皇関わる記事考えられるものの、両記事の内容日付含めほぼ同文であることや、この時期皇后不在のことから、疑問が残る後者について『扶桑略記』により詳しい記事があるところから、『大日本史料』では譲位直後宇多上皇皇太后班子女王記事としての採録する。上皇は約半年後に朱雀院移っている。

※この「9世紀の東三条殿」の解説は、「東三条殿」の解説の一部です。
「9世紀の東三条殿」を含む「東三条殿」の記事については、「東三条殿」の概要を参照ください。

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