9世紀から11世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 04:48 UTC 版)
「ラウフェン・アム・ネッカー」の記事における「9世紀から11世紀」の解説
832年にフランク王国の国王ルートヴィヒ1世(敬虔王)は、未開のこの村を、オーバープファルツ地方ノルトガウの伯であった娘婿のエルンストにレーエンとして与え、この不毛の地を王の村にふさわしいものにするよう命令した。ネッカー川沿いの斜面を初めて開墾したのも、ネッカー川沿いに最初の城を築いたのもエルンストとされている。伯の娘レギスヴィンディスは幼少期に乳母によって殺害され、遺体はネッカー川に遺棄された。このため、エルンスト辺境伯は、自らの本拠地であるオーバープファルツへ戻ってしまった。 ラウフェンはレーエン期間が満了し、861年に伯が亡くなると再び王の直轄地となった。889年、923年、993年にそれぞれ当時の王がこの村の統治権をヴュルツブルク司教に委託している。1003年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世は、この整備された村に修道院を創設することを宣し、これにより司教ハインリヒ・フォン・ヴュルツブルク管轄下のベネディクト会修道院が設立された。
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