忠仁公とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 忠仁公の意味・解説 

藤原良房

(忠仁公 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 06:45 UTC 版)

藤原 良房(ふじわら の よしふさ、延暦23年〈804年〉 - 貞観14年〈872年〉)は、平安時代初期から前期にかけての公卿藤原北家左大臣藤原冬嗣の次男。官位従一位摂政太政大臣正一位染殿白河殿と称される。忠仁公 、国封は美濃公


注釈

  1. ^ 天皇が幼少時に摂政が任命されるという慣例は930年の藤原忠平(朱雀天皇の摂政)の時に確立したと考えられているが、『公卿補任』はその原則が最初からのものと思い込んで後世に加筆されたとする和田英松の説が今日では通説とされている[要出典]

出典

  1. ^ 『徒然草』第6段。染殿大臣として言及される。
  2. ^ 文徳実録』斉衡3年6月25日条
  3. ^ 瀧浪[2017: 152]
  4. ^ a b 吉川[2002: 57]
  5. ^ 瀧浪[2017: 172]
  6. ^ 高田淳「平安前期の政変」『日本古代史研究事典』東京堂出版、1995年、p. 125.
  7. ^ 遠藤慶太「『続日本後紀』と承和の変」『古代文化』第52巻第4号、古代学協会、2000年、p. 46.
  8. ^ 西本昌弘「承和の変と嵯峨派・淳和派官人」『平安前期の政変と皇位継承』所収、吉川弘文館、2022年、pp. 210, 224.
  9. ^ a b 吉川[2002: 58]
  10. ^ 『続日本後紀』承和10年7月14日条
  11. ^ 『続日本後紀』承和11年8月5日条
  12. ^ 遠藤慶太「『続日本後紀』と承和の変」『古代文化』第52巻第4号、古代学協会、2000年。
  13. ^ 『日本三代実録』清和天皇即位前記
  14. ^ 江談抄』『平家物語
  15. ^ 瀧浪[2017: 208]
  16. ^ 『日本三代実録』天安2年12月9日条
  17. ^ 瀧浪[2017: 214-219]
  18. ^ 『日本三代実録』貞観5年5月20日条
  19. ^ 瀧浪[2017: 253-256]
  20. ^ 『日本三代実録』貞観8年8月22日条
  21. ^ 彦由[1991: 639]
  22. ^ 吉川[2002: 59]
  23. ^ 瀧浪[2017: 222-223]
  24. ^ 『日本三代実録』貞観8年3月23日条
  25. ^ 『日本三代実録』貞観8年閏3月1日条
  26. ^ 瀧浪[2017: 241,257]
  27. ^ 『日本三代実録』貞観10年閏12月28日条、『大鏡裏書』文徳天皇
  28. ^ 『日本三代実録』貞観8年12月8日,11日,13日条
  29. ^ 『日本三代実録』貞観8年12月27日条
  30. ^ 瀧浪[2017: 260]
  31. ^ 『日本三代実録』貞観14年3月7日条
  32. ^ 『日本三代実録』貞観14年3月9日条
  33. ^ 栗原弘「藤原良房と源潔姫の結婚の意義」『平安前期の家族と親族』所収、校倉書房2008年、pp. 203-204(第二部第三章)。ISBN 978-4-7517-3940-2
  34. ^ a b c d e f g h 『公卿補任』
  35. ^ 請田正幸「良房の母」 続日本紀研究会 編『続日本紀と古代社会』所収、塙書房、2014年。ISBN 978-4-8273-1271-3


「藤原良房」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「忠仁公」の関連用語

忠仁公のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



忠仁公のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原良房 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS