摂政の辞令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:22 UTC 版)
藤原忠實 摂政宣命 (朝野群載 十二 宣命)太上天皇乃詔久、關白右大臣藤原朝臣波、輔導年久之弖、爲朝重臣利、見其誠心仁、幼主遠寄託之都倍志、然則皇太子、天日嗣遠承傳賜比天、未親萬機之間、保輔幼主天、攝行政事世牟古止、一如忠仁公故事世與止詔御命遠衆聞食止宣嘉承二年七月十九日(訓読文) 太上法皇(白河法皇 55歳)の詔(のりたまひつら)く、関白右大臣藤原朝臣(忠実 30歳)は、輔(あなな)ひ導くこと年久しくして、朝(みかど。朝廷のこと)の重臣たり、其の誠の心を見るに、幼主(鳥羽天皇 5歳)を寄託しつべし、然らば則(すなは)ち皇太子(ひつぎのみこ。宗仁親王。のちの鳥羽天皇)、天つ日嗣(ひつぎ)を承(う)け伝へ賜ひて、未だ万機を親(み)ざるの間、幼主を保(やすんじ)輔(あなな)ひて、政事(まつりごと)を摂(と)り行なひせむこと、一(もは)ら忠仁公(藤原良房)の故事の如くせよと詔御命(のりたまふおほみこと)を衆聞食(もろもろきこしめせ)と宣(の)る、嘉承二年(1107年)七月十九日
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