摂政による後見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 06:49 UTC 版)
「シャルル6世 (フランス王)」の記事における「摂政による後見」の解説
シャルル6世は11歳でフランス王位を継承し、21歳の時に摂政による後見を終わらせて親政を開始したが、それまでの間はシャルルのおじたちが王の摂政として実権を握り続けた。シャルルの未成年期に王の摂政としてフランスを支配したのは、父シャルル5世の弟であるブルゴーニュ公フィリップ、アンジュー公ルイ、ベリー公ジャンの3人と、母ジャンヌ・ド・ブルボンの兄であるブルボン公ルイだった。アンジュー公ルイは1382年よりナポリ王国王位をめぐる戦いに参加し、1384年に死没した。ベリー公ジャンはラングドックの支配に注力しており、政治には大きな関心を示さなかった。ブルボン公ルイは精神的に不安定であり、またフランス国王の子でもないため重要視されなかった。結果として、ブルゴーニュ公フィリップが摂政の中でも圧倒的な力を持つこととなった。 シャルル6世は1388年に親政を開始し、摂政による支配を終わらせた。シャルルは統治を行うにあたって父(シャルル5世)の有能な顧問団であったマルムゼ(英語版)を復権させた。マルムゼによる補佐の下、シャルル6世の統治は国民からの尊敬を集め、シャルルは広く「親愛王」の名で呼ばれるようになった。
※この「摂政による後見」の解説は、「シャルル6世 (フランス王)」の解説の一部です。
「摂政による後見」を含む「シャルル6世 (フランス王)」の記事については、「シャルル6世 (フランス王)」の概要を参照ください。
- 摂政による後見のページへのリンク