摂政としての政治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 09:49 UTC 版)
「ボリス・ゴドゥノフ」の記事における「摂政としての政治」の解説
外交面ではイングランドと友好を強め、1590年からのロシア・スウェーデン戦争(英語版)に勝利してフィンランド湾沿岸部を回復した。 西シベリアへの進出も成功を収め、イェルマークの率いるコサック傭兵軍団は、1598年にはシビル・ハン国を滅ぼしてモスクワ国家の版図を拡げた。 また、1589年にモスクワ総主教座が置かれ、正教会内でのモスクワの地位を高めた。 しかし当時のモスクワ国家は甚大な経済的・社会的危機を迎えていた。飢饉と重税のため逃亡農民が激増し、労働力不足と税収の落ち込みで国家・社会は停滞しつつあった。 ボリスは農民の移動制限などで対処したが、効果は出なかった。南部や東部へ大量に逃亡・移住した農民やコサックを国家はうまく管理出来なかった。
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