摂政ロマンス
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「ジョージェット・ヘイヤー」の記事における「摂政ロマンス」の解説
ヘイヤーの初期作品はロマンス小説であり、その大半は1800年以前の時代設定だった。1935年、摂政時代(1811年-1820年)を最初に取り上げた小説である『リージェンシー・バック』を出版した。このベストセラーとなった小説が基本的に摂政ロマンスというジャンルを作り上げることになった。当時の他のロマンス小説とは異なり、筋の背景としてこの時代を使った。登場人物の多くが現代的な感受性があり、小説の中で平凡な人物が、ヒロインの愛のために結婚したいというような風変わりさを指摘することになる。この小説はほとんど全てが裕福な上流階級の世界であり、たまに貧困、宗教、政治に言及している(ジェーン・オースティンの影響を受けたもう1つのやり方)。 イギリスの実際の摂政時代は1811年から1820年の間のみだったが、ヘイヤーのロマンスは1725年から1825年に設定されていた。文芸批評家のケイ・マッセルが指摘しているように、これらの書は「構造化された社会的儀式、すなわちロンドン・シーズンに代表される結婚市場」の周りに回転しており、そこでは「皆が不適切な挙動のために追放される危険性にある」ということだった。ヘイヤーの摂政ロマンスは、同じ時代に設定されているジェーン・オースティンの作品に影響されていた。しかし、オースティンの作品は彼女が生きていた時代を叙述する同時代小説だった。パメラ・レギスの著作『ロマンス小説の自然史』に拠れば、ヘイヤーのストーリーは100年前に起こった出来事の中に設定されているので、読者が理解できるようにその時代についてより詳細な記述を含める必要があった」としている。オースティンが「衣装や装飾の細部」を無視できたのに対し、ヘイヤーはその詳細を「当時の色調で小説に盛り込む」ことになった。リリアン・ロビンソンのような後の書評家は、ヘイヤーの「その重要性に関する関心無しに特別の事実に向けた情熱」を批判し、マルガニータ・ラスキは「ヘイヤーがその創作雰囲気に強く依存していたそれら側面は、まさにジェーン・オースティンが、ある登場人物を粗野だとか滑稽だとか示そうとしたときにのみ言及したものである」と指摘した。他にもA・S・バイアットなどは、ヘイヤーの「この雰囲気の知覚 - 彼女の暇のある階級を社会的に追及するときの詳細と、それが作りだしたフィクションの背後にある感情的な構造の双方が、彼女の最大の財産である」と考えている。 ヘイヤーはその小説をできる限り正確にしようと考えており、執筆の合間に参考文献や研究書を収集した。彼女の死の時にはデブリッツのものや1808年刊行の貴族院辞書など、1,000件以上の歴史参考書を所有していた。その蔵書には、中世や18世紀に関する標準的な歴史書に加えて、嗅ぎタバコ入れ、道標、衣装に関する歴史書もあった。雑誌記事の挿画を切り抜き、興味ある言葉や事実をカードに書き入れることも多かったが、情報を見つけた場所を記録することは滅多に無かった。そのノートは、美、色、衣装、帽子、家事、価格、店などに分類付けて整理されており、特別の年の蝋燭の値段など詳細までを含んでいた。別のノートには言い回しのリストが入っており、「食料と陶器」、「愛情を示す言葉」、「話し方」などの話題があった。出版者の1人マックス・ラインハルトは、彼女の著作の1つで言葉の使い方について編集者としての提案をしようとしたことがあったが、即座に編集スタッフの一人からヘイヤーほど摂政時代の言語について知っている者はイギリスにはいないと教えられた。 ヘイヤーは正確さについて興味があったので、ウェリントン公爵の書いた手紙を購入し、その書きぶりを正確に再現しようとしたことがあった。小説『悪名高い軍隊』の中でウェリントンが言ったとされている全ての言葉は、実際に彼が言ったか書いたものと同じであると主張していた。その時代に関するヘイヤーの知識は広範なものだったので、その著作では滅多に明確な日付を書かなかった。その代わりに何気なく当時の大きなまた小さな出来事に言及して物語の時間を暗示していた。
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