摂政・オールバニ公爵
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1361年、ロバート・ステュアート(1340年頃 - 1420年)は、メンティース伯爵(英語版)の称号と現在ドゥーン城が建っている土地を与えられた。彼はスコットランド王ロバート2世(在位1371年 - 1390年)の息子で、ロバート3世(在位1390年 - 1406年)の弟だった。城の建築はこの下賜後に始まったと考えられ、遅くとも1381年までには完成して勅許状が与えられた。ロバートは1388年に年老いた父ロバート2世の摂政となり、その後病弱だった兄ロバート3世の治世の間も影響力を持ち続けた。1398年にはオールバニ公爵の地位が与えられている。1406年、ロバート3世の後継者ジェームズ1世がイングランドに捕らえられると、オールバニ公爵はまたも摂政の座についた。その後、ドゥーンで数多くの勅許状が発行されたことから、ここが愛用の居城となったことがうかがえる。
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