ジャンヌ・ド・ブルボンとは? わかりやすく解説

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ジャンヌ・ド・ブルボン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:18 UTC 版)

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ジャンヌ・ド・ブルボン
Jeanne de Bourbon
フランス王妃
シャルル5世と王妃ジャンヌの像
在位 1364年4月8日 - 1378年2月6日
戴冠 1364年6月1日

出生 1338年2月3日
フランス王国ヴァンセンヌ
死去 (1378-02-06) 1378年2月6日(40歳没)
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
結婚 1350年4月8日 タン=レルミタージュ
配偶者 フランス王シャルル5世
子女 一覧参照
父親 ブルボン公ピエール1世
母親 イザベル・ド・ヴァロワ
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ジャンヌの葬儀

ジャンヌ・ド・ブルボンJeanne de Bourbon, 1338年2月3日 - 1378年2月6日)は、フランスシャルル5世の王妃[1]

生涯

ブルボン公ピエール1世と妃イザベル・ド・ヴァロワ(フランス王フィリップ6世の異母妹)の次女としてヴァンセンヌで生まれた。妹にカスティーリャペドロ1世の王妃となったブランシュ(ブランカ)がいる。シャルル5世の父ジャン2世の従妹に当たる。

父ピエール、祖父ヴァロワ伯シャルル、ジャンヌの兄弟の多くが遺伝性疾患によるとみられる精神病を患い、ジャンヌもまたその例外ではなかった。第7子を出産後、ジャンヌは神経質になり、感情の起伏が激しくなったという。フランス王となった三男シャルル6世がのち発狂したのはよく知られている。また、ジャンヌの曾孫であるイングランドヘンリー6世も、のちに廃人同様となった。

1378年、娘カトリーヌ出産の際に陣痛が起きている最中「入浴がしたい」と言い出し、皆が止めるのも聞かず、人目を盗んでこっそり入浴し、出産後に産褥熱で死去した[2]

子女

  • ジャンヌ(1357年 - 1360年)
  • ジャン(1359年 - 1364年)
  • ボンヌ(1360年、夭折)
  • ジャン(1366年、夭折)
  • シャルル6世(1368年 - 1422年)
  • マリー(1370年 - 1377年)
  • ルイ(1372年 - 1407年) オルレアン公
  • イザベル(1373年 - 1378年)
  • カトリーヌ(1378年 - 1388年)

脚注

  1. ^ 600年前のフランス王妃の彫像頭部、1億7000万円で落札 写真7枚 国際ニュース”. AFPBB News (2014年12月12日). 2020年10月12日閲覧。
  2. ^ タックマン、p. 585

参考文献

  • バーバラ・W・タックマン、徳永守儀 訳 『遠い鏡』 朝日出版社、2013年




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