ジャンヌ1世_(オーヴェルニュ女伯)とは? わかりやすく解説

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ジャンヌ1世 (オーヴェルニュ女伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/16 08:01 UTC 版)

ジャンヌ1世・ドーヴェルニュ
Jeanne I d'Auvergne
フランス王妃
戴冠後パリに入城するジャン2世とジャンヌ
在位 1350年8月22日1360年9月29日
別称号 オーヴェルニュ女伯及びブローニュ女伯(1332年1360年

出生 1326年5月8日
死去 (1360-09-29) 1360年9月29日(34歳没)
フランス王国、アルジー城
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
結婚 1338年
1350年2月13日
配偶者 フィリップ・ド・ブルゴーニュ
  フランス王ジャン2世
子女 一覧参照
家名 オーヴェルニュ家
父親 オーヴェルニュ伯ギヨーム12世
母親 マルグリット・デヴルー
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ジャンヌ1世

ジャンヌ・ドーヴェルニュフランス語: Jeanne d'Auvergne, 1326年5月8日 - 1360年9月29日)は、フランス国王ジャン2世の2度目の妃。

生涯

オーヴェルニュ伯及びブローニュ伯ギヨーム12世エヴルー伯ルイ(フランス王フィリップ4世の異母弟)の娘マルグリット・デヴルーの間の一人娘で、父の死により女子相続人となった。

1338年、ブルゴーニュ公ウード4世の息子フィリップと結婚した。この結婚のおかげで、フィリップはオーベルニュ伯の称号を得た。フィリップは父親に先立って死去し、夫妻の一人息子フィリップブルゴーニュ公を継承した。

1346年にフィリップと死別した後、1350年2月13日、又従兄にあたるジャンと再婚した。ジャンはペストで亡くなった最初の妃ボンヌ・ド・リュクサンブールとの間に8人の子どもを儲けていたので、ジャンヌへは男子を産むようにとの圧力はほとんどなかった。ジャンとの間にはブランシュとカトリーヌの2女が生まれたが、ともに夭折した。ジャンヌは1360年にアルジー城で亡くなり、サン=ドニ大聖堂に埋葬された。彼女の持つ称号はフィリップへ受け継がれた。

子女

最初の夫フィリップ・ド・ブルゴーニュとの間に1男2女を儲けた。

2人目の夫ジャン2世との間には2女を儲けた。

  • ブランシュ(1350年) - 夭逝
  • カトリーヌ(1352年) - 夭逝

脚注

  1. ^ Cox 1967, p. 60-61,105.
先代
ギヨーム12世
オーヴェルニュ伯
ブローニュ伯
1332年 - 1360年
次代
フィリップ



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