山城国冨家殿山絵図とは? わかりやすく解説

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山城国冨家殿山絵図(著色)

主名称: 山城国冨家殿山絵図(著色)
指定番号 155
枝番 00
指定年月日 1995.06.15(平成7.06.15)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 1幅
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  冨家殿は建長五年(一二五三十月廿一日近衛家所領目録【このえけしよりようもくろく】に「京極殿領内山城國冨家殿」と記載される龍前私的な相伝所領そうでんしよりよう】であった。しかし、関係史料は以外と少なくわずかに建武三年一三三六十一月近衛基嗣北朝後光厳院から安堵された家領二五か所の一つに冨家殿を確認できる程度である。その後、冨家殿は『後法興院雑事要録』に「家門異他旧領廿五ケ所内、忠仁公以来相伝地」というほどに意識される近衛家家産経済支え重要な家領一つとして機能していたことが知られる従来、冨家殿の規模四至などは不明な点が多くあったが、本図発見によって、初め宇治川右岸展開する冨家殿所領の実態明らかになった。
 本図は北を上にして、東から南に曲線描いて流れ宇治川基点にして、北方広がる冨家殿の所領を、山は緑青樹木濃緑青、建物、道は黄土、境は赤などの著色をもって描き西方には黄土描かれ大和大道宇治橋がみえている。構図全体山地描写力点置かれており、「楊山【やなぎやま】」「三室戸山【みむろどやま】」などの山岳名注記多く確認できる山中わずかな耕地部分には「炭山【すみやま】」「志津川【しづかわ】」「池尾【いけのお】」などの集落名が墨書されているほか、鳥居平等院はじめとする寺社建物略記する。こうした名称の横には「冨家殿」という朱書注記がみえ、それらが冨家殿所領であることを明記している。また、冨家殿には田原供御所【たはらくごしよ】が付属して薪炭などを供給(『兵範記紙背四月三日僧忠儀解)しており、冨家殿山古くから杣山そまやま】の性格有する事実併せて本図杣山絵図としても最古遺品であることを示している。
 本図紙背には「冨家殿山指図【さしず】」と外題【げだい】があり、紙背にはまた「万里小路大納言までのこうじだいなごん】」「民部卿」ら六名公卿署名や「叡覧えいらん】」「公文所本図之写」などの記事がみえており、本図所領関係の訴訟管轄する雑訴決断所【ざつそけつだんしよ】によって時の天皇後醍醐叡覧供され絵図の控図であったことを示している。本図作成目的はおそらく鎌倉時代後期からの所領はじめとする家産家督などをめぐる争い頻発し極めて深刻な問題に陥っていた近衛家が、新政権後醍醐裁許による所領安堵【しよりようあんど】を期待してのことであろう



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