大宅鷹取
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大宅 鷹取(おおやけ の たかとり、生没年不詳)は、平安時代前期(9世紀後半)の官人。姓は首。平安京左京の人。応天門の変の密告者として知られる。
注釈
- ^ 『日本三代実録』貞観8年9月22日条には伴善男は勅使(両参議)に対して「毎事固争不承伏」とあり、応天門の放火の事だけではなく、鷹取父子の襲撃の事も問われたとみられる[8]。
- ^ 応天門の放火は清和天皇主導で太政官において捜査・裁判が進められ、同時に告発されたと思われる大宅鷹取父娘に対する襲撃は通常の刑事事件として刑部省において捜査が進められていたが、前者の捜査が優先された上に伴善男が容疑を否認し山陵における樹木の伐採が確認されたことで放火説が否定されて鷹取の密告にも誣告の可能性が浮上したため、襲撃事件に関する伴中庸や生江恒山に対する取調の開始も遅れたと考えられる[11]。
- ^ 鈴木琢郎は9月22日の時点で判明していたのは伴中庸が襲撃事件の主犯で放火事件にも関っていた可能性が高いというもので、父親の善男の両事件への関与の有無までは判断できる状況ではなかった(そのために同日以降も生江恒山らに対する襲撃事件の取り調べが続いた)が、清和天皇の強い意向で善男の処分が決まったと推測する[14]。
出典
- ^ 『日本三代実録』貞観8年閏3月10日条
- ^ 『日本三代実録』貞観10年閏12月28日条
- ^ a b c 『日本三代実録』貞観8年10月25日条
- ^ 『日本三代実録』貞観8年8月3日条
- ^ a b c 『日本三代実録』貞観8年9月22日条
- ^ 『日本三代実録』貞観8年8月4日条
- ^ 『日本三代実録』貞観8年8月7日条
- ^ 鈴木、2018年、pp337・340.
- ^ 『日本三代実録』貞観8年8月18日条
- ^ 鈴木、2018年、pp340-341.
- ^ 鈴木、2018年、pp339.
- ^ 『日本三代実録』貞観8年8月29日条
- ^ 『日本三代実録』貞観8年8月30日条
- ^ 鈴木、2018年、pp343.
- ^ 『平安時代史事典』「大宅鷹取」
- ^ a b 『日本古代氏族人名辞典』「大宅首鷹取」
- ^ a b 鈴木、2018年、pp338-339.
大宅鷹取(おおやけのたかとり)
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大宅鷹取(おおやけ の たかとり)
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