大宅諸姉とは? わかりやすく解説

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大宅諸姉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 14:53 UTC 版)

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大宅 諸姉(おおやけ の もろね、生年不明 - 天平17年7月23日745年8月24日))は、奈良時代前・中期の女官官位従四位上典侍

生涯

元正朝養老7年(723年)正月、夫人藤原宮子ほか女王・女官の叙位の際に薩妙観とともに従五位上[1]

聖武朝天平8年(736年)の内侍に、「従五位上典侍大宅朝臣諸姉」と署名している。

同9年(737年)2月には、改姓した河上妙観とともに 正五位下[2]。同11年(739年)正月には春日女王・小長谷女王坂合部女王・茨田女王・陽侯女王藤原吉日らとともに従四位下に昇叙している[3]

その後、同15年(743年)4月、良弁により金光明寺に大灌頂経1帙を貸与したとあり、この時は「大宅命婦」と記されている[4]。当時、大宅命婦所は久邇宮にあったと推察され、これらの経典を4ヶ月近く命婦所に収めたのは書写のためであったろうと思われる[5]。同16年(745年)12月、左京の人漆部連豊島を、翌17年(745年)4月、備前国の人宗我部人足を、各優婆塞として貢進している[6][7]。当時は久邇宮、紫香楽宮の寺院化が急速に進み、国分寺国分尼寺建立で宮廷も官庁も湧き上がっていた[5]

天平17年(745年)7月、従四位上で卒去[8]

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第九、元正天皇 養老7年正月10日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第十二、聖武天皇 天平9年2月14日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第十三、聖武天皇 天平11年正月13日条
  4. ^ 『大日本古文書』巻廿四 - 171頁・178頁
  5. ^ a b 日本図書センター、『日本女性人名辞典』p216、1993年
  6. ^ 『寧楽遺文』下巻518頁
  7. ^ 『大日本古文書』巻廿五 - 125頁・164頁
  8. ^ 『続日本紀』巻第十六、聖武天皇 天平17年7月23日条

参考文献




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