後期バターフィールド・ブルース・バンド
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「ポール・バターフィールド」の記事における「後期バターフィールド・ブルース・バンド」の解説
ブルームフィールドは自身のバンド、エレクトリック・フラッグを結成。 3作目のアルバム『ピグボーイ・クラブショー』を1967年に発表。52位を記録。チャールズ・ブラウンの「Driftin' Blues」を「Driftin' and Driftin'」の題名で、また、オーティス・ラッシュ「Double Trouble」、ジュニア・パーカーのヴァージョンで知られる「Driving Wheel」をカバー 。 1967年6月、モントレー・ポップ・フェスティバルで公演。 1968年、4作目のアルバム『イン・マイ・オウン・ドリーム』でソウルとホーン・サウンドにさらに接近。3曲だけ歌った。ビルボード79位。1968年末、ビショップとマーク・ナフタリンが脱退。
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