モントレー・ポップ・フェスティバルとは? わかりやすく解説

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モントレー・ポップ・フェスティバル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 09:41 UTC 版)

モントレー・ポップ・フェスティバル
Monterey International Pop Festival
概要
開催年 1967年
会場 アメリカ合衆国カリフォルニア州モントレー
主催 ルー・アドラー
ジョン・フィリップス
ジャンル ロックフォークブルースロックフォークロックサイケデリック・ロックブルースソウルミュージック、インド音楽
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モントレー・ポップ・フェスティバルMonterey International Pop Festival)は、1967年6月16日から18日までの3日間、アメリカ合衆国カリフォルニア州モントレー(モンタレー)で開かれた、ロックがメインで行われた大規模な野外コンサート。「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれたヒッピー・ムーブメントの真っ只中で行われ、20万人以上の観客を動員した。

2年後に開催されたウッドストック・フェスティバル(1969年)を初めとした大規模なロック・フェスティバル[注釈 1]の先がけとなった歴史的なものだった。

概要

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス。テレビ番組での演奏(1967年)
ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー。左から2人目がジャニス・ジョプリン(1966/1967年頃)

30組以上のミュージシャンが出演し、今日のロック・フェスティバルの源流とされる。出演者はロック・ミュージシャンに限定されてはおらず、ブルースブルースロックフォークソウルミュージック[注釈 2]民族音楽[注釈 3]のミュージシャンも出演した。当時はロックンロールからロックミュージックへの転換期であり、出演者の選考がヒッピーの多様な文化を受け入れようという多文化主義に影響を受けた可能性もある。

発端は1966年に行われたモントルー・ジャズ・フェスティバルだった。このフェスティバルを観たプロモーターのアラン・パリザーがロック・フェスティバルの開催を思いつき、パリザーのアイデアをもとにママス&パパス[注釈 4]ジョン・フィリップス[注釈 5] とプロデューサーのルー・アドラーが中心となって開催された。

ジャニス・ジョプリン[注釈 6]ジミ・ヘンドリックス[注釈 7]オーティス・レディング[1] など、このフェスティバルで知名度を高め人気を上昇させたミュージシャンも多い。

フェスティバルの模様はD・A・ペネベイカーの監督の下に撮影されて、1968年12月26日に『Monterey Pop』(邦題:モンタレー・ポップ フェスティバル'67)というタイトルで公開された[注釈 8][2]

1980年代後半に、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとオーティス・レディングの公演の映像を一つに集めたビデオ『Jimi Hendrix, Otis Redding – Live at Monterey』がVHSまたはレーザーディスクで発売された[3]

2002年、クライテリオン・コレクションから3枚組のDVD『The Complete Monterey Pop Festival』が発売された。1枚目は上記『Monterey Pop』、2枚目は上記『Jimi Hendrix, Otis Redding – Live at Monterey』、3枚目は「The Outtake Performances」と題する各ミュージシャンの未公開の映像[4]

関連楽曲・関連アルバム

出演者

6月16日 夜の部

6月17日 昼の部

  • キャンド・ヒート 『Rollin' And Tumblin'』、『Dust My Broom』、『Bullfrog Blues
  • ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー featuring ジャニス・ジョプリン *6月18日にも出演 『Down On Me』、『Combination Of The Two』、『Harry』、『Road Block』、『Ball And Chain
  • カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ 『Section43』、『Not So Sweet Martha Lorraine』、『The Fish Cheer』、『I Feel Like I'm Fixin' to Die Rag』、『The Bomb Song
  • アル・クーパー 『Wake Me, Shake Me
  • ザ・バターフィールド・ブルース・バンド *夜の部にも出演 昼の部の『Driftin' Blues』以外それぞれどちらの部の演奏か不明 『Born in Chicago』、『Driftin' Blues』、『Mary Ann』、『Look Over Yonder Wall』、『Droppin' Out』、『One More Heartache』、『Mystery Train』、『Double Trouble
  • クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス 『All I Ever Wanted To Do (a/k/a/ Dino's Song)
  • スティーヴ・ミラー・ブルース・バンド 『Mercury Blues
  • エレクトリック・フラッグ 『The Nighttime Is The Right Time』、『Drinkin' Wine』、『Groovin' Is Easy

6月17日 夜の部

6月18日 昼の部

6月18日 夜の部

脚注

注釈

  1. ^ ワイト島音楽祭(1968年、1969年、1970年)、バングラデシュ難民救済コンサート(1971年)、SNACKコンサート(1975年)、ラスト・ワルツ(1976年)、ノー・ニュークス(1979年)などが挙げられる。
  2. ^ オーティス・レディング
  3. ^ インド音楽のシタール奏者であるラヴィ・シャンカル
  4. ^ 「夢のカリフォルニア」「マンデー、マンデー」などがヒット。
  5. ^ 「花のサンフランシスコ」「夢のカリフォルニア」の作曲者。
  6. ^ このフェスティバルにはビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのメンバーとして出演した。「ボール&チェイン」などのライブ演奏が話題になった。
  7. ^ 「ヘイ・ジョー」「紫の煙」などの曲が有名。
  8. ^ 日本では1975年8月30日にNHK総合テレビジョンの音楽番組『ヤング・ミュージック・ショ―』で放映された。1976年9月4日に再放送。

出典

  1. ^ AllMusic Review by Bruce Eder”. AllMusic. 2021年1月27日閲覧。
  2. ^ 城山隆『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』情報センター出版局、2005年、353-357頁。ISBN 978-4795843622 
  3. ^ Jimi Hendrix, Otis Redding – Live At Monterey (1989, Laserdisc) - Discogs
  4. ^ The Complete Monterey Pop Festival (2002, Region 1, DVD) - Discogs
  5. ^ Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF JULY 1, 1967

関連項目

外部リンク


モントレー・ポップ・フェスティバル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 00:56 UTC 版)

オーティス・レディング」の記事における「モントレー・ポップ・フェスティバル」の解説

白人のロック・ミュージシャンが多数出演するモントレー・ポップ・フェスティバルにオーティスが出ることについて、当初難色を示す者が多かったオーティス使用していたアンプは、ザ・フージミ・ヘンドリックス使用していた大音量のものとは比較ならない貧弱なのだったが、黒人のソウル・ミュージシャンとして同フェスティバル出演したオーティス大観衆の心をにし、音楽人種の壁はないことを示し大喝采浴びた共演した、同じスタックス・レコード所属ブッカー・T&ザ・MG'sスティーヴ・クロッパーとの共同作業は「(Sittin' On) The Dock of the Bay」や「Fa-Fa-Fa-Fa-Fa (Sad Song)」などのヒット曲を生み、彼のストーリーを育んだ。

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