後期ブルズ王朝へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 09:57 UTC 版)
「1995-1996シーズンのNBA」の記事における「後期ブルズ王朝へ」の解説
数字上NBA史上最強のチームとなったシカゴ・ブルズを止められるチームは、プレーオフに入っても現れなかった。ブルズを最も苦しめたのはこの年もやはりパトリック・ユーイング率いるニューヨーク・ニックスだったが、彼らでさえもブルズから1勝を奪うのがやっとだった。貴重なシックスマンだったトニー・クーコッチを怪我で失うアクシデントに見舞われたものの、1回戦でマイアミ・ヒートをスイープで降し、カンファレンス準決勝でニックスを4勝1敗で退けたブルズは、カンファレンス決勝でオーランド・マジックと対決。前季のプレーオフでは復帰したてのジョーダンが若いマジックの選手に翻弄されたため、ジョーダンが敗因となって敗れたが、そのマジックもこの年のブルズの敵ではなかった。ブルズはマジックを4戦4勝のスイープで降し、3シーズンぶりのファイナルへと駆け上がった。 この年のブルズはリーグ最年長のチームだったが、無類の強さを誇ったブルズにファイナルで挑むのは、若い2人の選手が主力を担うチームだった。1979年の優勝チームであるシアトル・スーパーソニックスは、1980年代をプレーオフ当落線上を行き来する中堅チームとして過ごした。そのソニックスが再び優勝戦線に名乗りをあげることになったのは、1989年から2年連続でソニックスに入団したショーン・ケンプとゲイリー・ペイトンの活躍にある。ペイトンは攻守に優れたリーグ屈指のポイントガードとなり、マイケル・ジョーダンが1度目の引退をして以降、「世界最高のバスケットボールプレイヤー」との評価を受ける時期もあった。ケンプは強烈なスラムダンカーで知られ、ペイトンのアシストを受けて敵ゴールに雨の如くダンクを降らせることから、"レインマン"の異名をとった。このシーズン、ペイトンは27歳、ケンプは26歳。ソニックスはマジックのシャキール・オニール、アンファニー・ハーダウェイ同様、ジョーダン不在の間にリーグで台頭を見せた新世代が中心のチームだった。 もっとも純粋に若いチームだったマジックに対し、ソニックスは若い2人をサポートできる優秀なベテラン選手が揃っていた。優れたオールラウンドプレイヤーだった西ドイツ出身のデトレフ・シュレンプ、ファイナル出場経験を持つサム・パーキンスらである。ソニックスはジョージ・カールをヘッドコーチに迎え入れた1992-93シーズンには55勝、翌1993-94シーズンには当時のフランチャイズ記録となる63勝を記録する、リーグ屈指の強豪チームとなった。しかし彼らはプレーオフで醜態を晒す。63勝を記録した1993年は第1シードとしてプレーオフに突入したが、1回戦で第8シードのデンバー・ナゲッツに史上最大級のアップセットを果たされ、翌シーズンも57勝を記録しながらもロサンゼルス・レイカーズに1回戦で敗れている。失意の2シーズンを送ったソニックスは、オフにケンドール・ギルを放出し、シューターのハーシー・ホーキンスを獲得して新シーズンに臨んだ。 そしてソニックスはこのシーズン、フランチャイズ記録を再び更新する64勝を記録。1回戦を危なげなく勝ち上がり、カンファレンス準決勝では前季チャンピオンのヒューストン・ロケッツをスイープで降した。カンファレンス決勝ではジョン・ストックトン、カール・マローンとの新旧PG&PF対決を4勝3敗で制し、ついに念願のファイナル進出を果たした。
※この「後期ブルズ王朝へ」の解説は、「1995-1996シーズンのNBA」の解説の一部です。
「後期ブルズ王朝へ」を含む「1995-1996シーズンのNBA」の記事については、「1995-1996シーズンのNBA」の概要を参照ください。
- 後期ブルズ王朝へのページへのリンク