サム・パーキンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/22 09:39 UTC 版)
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2012年のパーキンス
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| インディアナ・ペイサーズ | ||||||||||||
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| 役職 | 球団副社長 | |||||||||||
| ポジション(現役時) | PF/C | |||||||||||
| 身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) | |||||||||||
| 体重(現役時) | 107kg (236 lb) | |||||||||||
| シュート | 左 | |||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||
| 本名 | Samuel Perkins | |||||||||||
| 愛称 | "Big Smooth" , "Sleepy Sam" | |||||||||||
| ラテン文字 | Sam Perkins | |||||||||||
| 誕生日 | 1961年6月14日(57歳) | |||||||||||
| 国 | |
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| 出身地 | ブルックリン区 |
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| 出身 | ノースカロライナ大学 | |||||||||||
| ドラフト | 1984年 4位 | |||||||||||
| 選手経歴 | ||||||||||||
| 1984-1990 1990-1993 1993-1998 1998-2001 |
ダラス・マーベリックス ロサンゼルス・レイカーズ シアトル・スーパーソニックス インディアナ・ペイサーズ |
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| 受賞歴 | ||||||||||||
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| 代表歴 | ||||||||||||
| キャップ | |
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サム・パーキンス (Samuel Perkins 1961年6月14日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク市ブルックリン区出身の元バスケットボール選手。NBAのシアトル・スーパーソニックスなどで活躍し、現在はインディアナ・ペイサーズの副社長を務めている。
来歴
ニューヨーク州の高校から1980年にノースカロライナ大学に進学。マイケル・ジョーダンやジェームズ・ウォージーらと共にプレーし、1982年にNCAAトーナメントで優勝を経験。更に1984年のロサンゼルスオリンピックの出場メンバーにも選出され、金メダルも獲得した。
現在でも "黄金ドラフト" として名高い1984年のNBAドラフトでは、ダラス・マーベリックスから全体4位という高評価を受けNBA入り[1]。1990年までマーベリックスの主力として活躍した。
1990年オフにロサンゼルス・レイカーズに移籍。ノースカロライナ大学時代のチームメイトだったジェームズ・ウォージーと再びプレーすることになる。移籍1年目の1990-91シーズンにレイカーズはカンファレンス優勝を果たし、NBAファイナルは同じく大学時代のチームメイトだったマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとの対戦。しかし、全盛期を迎えつつあったブルズにレイカーズはなすすべなく1勝4敗で敗退。
1992-93シーズン途中に、シアトル・スーパーソニックスに移籍。1993-94シーズンはウェスタンカンファレンス1位で終えたものの、プレーオフ1回戦ではディケンベ・ムトンボ率いるデンバー・ナゲッツにまさかの敗戦。1995-96シーズンこそウェスタンカンファレンスを制してパーキンスは二度目のNBAファイナル出場となったが、前人未到の"72勝10敗"を記録したシカゴ・ブルズに、ソニックスは食い下がったものの2勝4敗で力尽きた。
1998-99シーズン、インディアナ・ペイサーズに移籍。翌1999-2000シーズン、ペイサーズはイースタンカンファレンスを制して、パーキンスは自身三度目のNBAファイナル出場になる。相手はパーキンスの古巣のロサンゼルス・レイカーズ。シャキール・オニールとコービー・ブライアントのコンビが噛み合ったレイカーズに、パーキンスもオニール相手に奮闘したものの、パーキンスにリック・スミッツ、デイル・デイヴィスのペテラン陣をもってしてもオニールの猛攻を食い止めることは出来ず、勝負が決した第6戦はスミッツがファウルアウトを喫するという幕切れで力尽きた。
翌2000-01シーズンは、スミッツが引退しデイヴィスが移籍した為に65試合出場で41試合に先発で起用されたが、2001年オフにペイサーズからの契約は更新されずに引退。パーキンスはNBAファイナル出場3回を誇りながらも、遂にNBAチャンピオンを経験することは出来なかった。
引退後
2008年にインディアナ・ペイサーズの選手人事部関連の副社長に就任[2]、同年にはニューヨーク市のバスケットボール殿堂入りも果たした[3]。
脚注
外部リンク
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