有名なプレー
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2001-2002シーズン、ロサンゼルス・レイカーズに在籍していたオーリーはプレイオフで奇跡的なシュートを2度成功させている。プレイオフ1回戦のポートランド・トレイルブレイザーズとの第3戦、リードされていたレイカーズは試合終了直前にオーリーのスリーポイントシュートで逆転勝ちした。 プレイオフを勝ち進んでカンファレンス決勝でサクラメント・キングスと対戦したが1勝2敗で迎えた第4戦、試合時間が残り数秒となり、2点リードされたレイカーズはエースのコービー・ブライアントにボールを託し、シュートが外れてもゴール近辺でセンターのシャキール・オニールがフォローするという作戦を立てる。コービーがゴールめがけて突進するがシュートは外れ、オニールがボールを取ろうとするが相手センターのブラデ・ディバッツがボールを外に弾いてゴールから遠ざける。レイカーズ絶体絶命のこの危機にボールはコートを転がっていき、コート中央、スリーポイントライン外側で立っていたオーリーの足元に転がった。彼はボールを拾うとすぐにシュート、試合終了のブザーとほぼ同時に放ったそのシュートは見事にゴールを通過し、1点差でレイカーズは逆転勝ち。アリーナの観客は総立ちでしばらくの間オーリーの名前を叫び続けた。 サンアントニオ・スパーズ時代の2004-2005シーズンのデトロイト・ピストンズとのNBAファイナル第5戦。終始劣勢だったスパーズだったが、第4クォーター終盤のオーリーの活躍から流れを掴む。オーリーは残り2分から立て続けにスーパープレーを見せた。まず、リチャード・ハミルトン越しに豪快にダンクシュートを決め、更にタイムアウト後にラシード・ウォーレスのマークを外して逆転の3ポイントシュートを決め、大事な試合に勝利をもたらした。その後スパーズは第7戦に勝利し、3度目のNBAチャンピオンに就き、オーリーは通算6個目のチャンピオンリンクを獲得した。
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有名なプレー
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「マイケル・ジョーダン」の記事における「有名なプレー」の解説
1986年のプレーオフ、当時史上最強と言われたボストン・セルティックスと対戦したイースタン・カンファレンス第1回戦2試合目で、プレーオフ記録となる63得点を上げた。試合後、ラリー・バードは「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だ」とコメントした。試合自体はブルズの負けで、シリーズも3連敗で敗退した。 1989年のプレーオフ、クリーブランド・キャバリアーズと戦ったイースタン・カンファレンス1回戦、2勝2敗で迎えた第5戦終了直前(残り3秒)99対100の場面で、ジョーダンは空中でマーカーのクレイグ・イーローをかわし難しいジャンプシュートを放ち、終了のブザーと同時に逆転を成功させた。このシュートでブルズのカンファレンス・セミファイナル進出が決まった。このシュートを英語圏では The Shot と呼ぶことがある。 1991年のデンバー・ナゲッツ戦、ジョーダンは当時ルーキーだったディケンベ・ムトンボに向かって「This one's for you baby」と語りかけ、目を閉じたままフリースローを決めた。 1991年NBAファイナル第2戦、ダンクに向かって跳躍するジョーダンは、サム・パーキンスのブロックをかわすためボールを左手に持ち替え、落下しながらスクープショットを決めた。このシュートを英語圏では The Move と呼ぶことがある。 1991年のプレーオフ1回戦、ニューヨーク・ニックスとの第3戦、3ポイントライン付近で味方からボールを受け取ったジョーダンは、ベースライン沿いにドライブ。が、ニックスのチャールズ・オークリーに進路を阻まれた為、一旦3ポイント方向へターン、が更に進路を阻まんとジョン・スタークスが立ちはだかり、完全にダブルチームでライン沿いに追い込まれるジョーダン。しかし、オークリーの一瞬の隙を突き、ワンドリブルでオークリーの右脇から抜け出しペイントエリアへ。ここで最後の壁、パトリック・ユーイングがブロックに飛ぶ。が、ジョーダンはユーイングの頭上からカウントワンスローの豪快なダンクを決め、マディソン・スクエア・ガーデンに衝撃が走った。 1992年のNBAファイナル、ブレイザーズと戦った第1戦、ジョーダンが放つ3ポイントシュートがことごとく決まり、前半で6本の3ポイント成功は当時のNBAファイナル記録だった。この試合は前評判では当時ジョーダンと評価を二分していたクライド・ドレクスラーとの戦いという事で盛り上がった。が、結果はジョーダンの一人舞台であった。 1993年敵地でのカンファレンスセミファイナル、対クリーブランド・キャバリアーズ第4戦。勝てばカンファレンスファイナルに進出という試合、序盤からジョーダンは痛めた右手首の影響から、シュートの精彩を欠いていた(ダンクシュートも手首に負担をかけないよう、左手で行っていた)。ゲームは一進一退の攻防を見せ、同点で迎えた第4Q残り1.7秒、フェイダウェイ・ジャンパーで放ったシュートがゲーム終了と同時に決まり、1989年のThe shotの再現となった。なお、それにちなんでこのシュートはThe shot2と呼ばれている。 1993年ファイナル第6戦、試合終了前に、一人でディフェンスを突破し、非常に高い位置でのレイアップを決め、グライダーとよばれる。そしてNBA3連覇を成し遂げた(ジョーダンはMVP)。 1997年のNBAファイナル第1戦、ジョーダンは試合終了と同時にウィニングショットを決めた。 1997年のNBAファイナル第5戦、ジョーダンは食中毒で最悪のコンディションだったが38得点を上げ、ブルズは優勝に王手をかけた。 1997年のNBAファイナル第6戦、ダブルチームを受けたジョーダンはフリーのスティーブ・カーにアシスト。これが決勝点となった。 1998年のNBAファイナル第6戦、試合終了間際にジョーダンはカール・マローンからスティール。そのままボールを運びジャンプショットを放ち、残り5.2秒で逆転に成功。ユタ・ジャズはその後追いつくことなく、ブルズは6度目の優勝を決めた。このシュートはThe Last Shotと呼ばれている。
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