マジック引退の余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 03:51 UTC 版)
「1991-1992シーズンのNBA」の記事における「マジック引退の余波」の解説
マジック・ジョンソンの引退はウエスタンの勢力図に変化をもたらした。 マジックが所属したロサンゼルス・レイカーズは彼の後釜としてベテランポイントガードのシデール・スレットを迎え入れたがマジックの穴を埋められるには至らず、さらにジェームス・ウォージーやサム・パーキンスら故障者が相次ぎ、前季から大幅に勝率を落とした。"ショータイム"バスケットの時代は終わり、レイカーズが次に優勝戦線に躍り出るには、シャキール・オニールの加入、コービー・ブライアントの登場を待たなければならない。 レイカーズの没落にあわせて台頭を見せたのが同じカリフォルニア州に本拠地を置くゴールデンステート・ウォリアーズである。毎晩のようにハイスコアゲームを展開し高い人気を誇った"ラン・TMC"は、オフにミッチ・リッチモンドが新人ビリー・オーウェンスとの交換でサクラメント・キングスにトレードされたため、僅か2シーズンの短命に終わった。オーウェンスは期待されたほどの活躍は見せなかったが、シャルーナス・マルチルリョーニスが急成長を見せ、前季の44勝から55勝と大きく勝率を伸ばした。 同じロサンゼルスに本拠地を置くロサンゼルス・クリッパーズも飛躍を見せた。果てしない低迷期が続いたクリッパーズは1988年のNBAドラフトで全体1位指名したダニー・マニング、3巡目指名したチャールズ・スミス、翌年にはロン・ハーパーが加入するなど少しずつチームの核となる人材が揃い始め、このシーズン後半からはラリー・ブラウンがヘッドコーチに就任し、13年ぶりに勝率5割以上となる45勝を記録。実に16年ぶりとなるプレーオフ進出を果たした。ロサンゼルスに本拠地を移して以来、これが初のプレーオフ進出であり、ロサンゼルス・クリッパーズがロサンゼルス・レイカーズの勝率を上回るのも初めてのことである。長い低迷期を脱したかに見えたクリッパーズだが、ブラウンHCは僅か2シーズンでチームを去ってしまうため、クリッパーズは再び低迷の時代に舞い戻ってしまう。 パシフィック・デビジョンはサクラメント・キングスを除く6チームがプレーオフに進出した。 新シーズンをプレイせずに引退したマジックだが、あまりに突然のことだったので、オールスターファン投票のマークシート用紙にはまだマジックの名前が残っていた。そこでマジックの引退を惜しむファンたちがこぞってマジックに票を投じたため、引退状態のマジックが全選手中最多得票を集めるに至った。オールスターゲームでマジックは25得点9アシストと活躍し、またイーストチームのマイケル・ジョーダンやアイザイア・トーマスとの1on1は観客を喜ばせ、さらに試合を締めくくるラストショットをアイザイアの1on1から決めた。試合は153-113でウエストチームが圧勝し、チームを勝利に導いたマジックは引退した選手でありながらオールスターMVPに選ばれた。 エイズと戦いながらも選手としての健在振りを示したマジックは、オフに一つの大きな仕事を遂行し、引退してもなおNBAの国際的な人気の獲得に、大きな貢献を果たすことになる。
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