マジックの引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 03:51 UTC 版)
「1991-1992シーズンのNBA」の記事における「マジックの引退」の解説
新シーズンが始まった1991年11月7日、世界に衝撃を与えた会見が行われる。マジック・ジョンソンの引退。1980年代のNBAを支え、当時未だリーグトップクラスの実力を誇ったマジックが、突然の引退を表明したのである。事の重大さを物語るように会見にはマジック本人のほか、ジェリー・ウェストGMやジェリー・バスオーナーのほか、協会コミッショナーのデビッド・スターンまでもが同席した。ロサンゼルス・レイカーズにとってもNBA全体にとっても、マジックの引退は非常に大きな損失だった。 一選手の引退がスポーツ界に留まらず、世界中から注目を浴びたのは、彼の引退理由にあった。ヒト免疫不全ウイルス、HIV。エイズに対する関心が未だ低かった当時、NBAを代表するほどの選手のキャリアをいとも簡単に奪ってしまう怖ろしい病、誰もが知る著名人をも襲ったもはや遠い存在ではない病として、エイズは一気にその認知度を高めることになる。またマジック自身も、マジックやNBAを知らない人たちの間でも、エイズの名を世界中に知らしめた人物として、より多くの人々に知られるようになった。 彼の引退に敬意を表したフィラデルフィア・76ers所属のチャールズ・バークレーは自らの背番号『34』を返上し、マジックと同じ『32』を着用した。『32』はビリー・カニンガムが着けた76ersの永久欠番だったが、彼の意向を汲んだ球団側とカニンガムはバークレーに『32』を着けることを許可した。 マジックの引退は一つの時代の終焉を告げた。80年代を支配したレイカーズの黄金期も終幕を迎え、また彼の最大のライバルとして80年代のNBAを牽引したもう一人のスーパースターも、このシーズン限りで現役から引退を表明したのである。
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