バードの引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 03:51 UTC 版)
「1991-1992シーズンのNBA」の記事における「バードの引退」の解説
シーズンの最初にマジックの引退が発表されたが、シーズン終了後の8月18日に、もう一人の巨星の引退が発表された。ラリー・バードの引退。NBAは僅か1年の間に、2人のスーパースターを同時に失うことになったのである。 マジックが衰える前に引退を強いられたのに対し、バードはいつ引退を決意してもおかしくない状態だった。バードは80年代半ばからすでに背中に持病を抱えており、その痛みは年々悪化。1990年に手術してからはバスケットをしている時以外は常に「装具」というギプスのようなものを身につけなければならないほどだった。ラストシーズンも20.2得点9.6リバウンド6.8アシストと堂々たる数字を残していたが、ついに痛みに耐え切れなくなり、引退を決意するに至った。 ボストン・セルティックスにとって大きな損失であり、80年代を黄金期として過ごしたセルティックスは、ゆるやかに衰退を迎える。NBAにとってもマジックに続いて大きな損失だったが、マジックとバードが築いたNBAの人気はもはや揺ぎ無いものとなっており、彼らの功績はマイケル・ジョーダンを始めとする新世代のスーパースターに引き継がれることで、現在に至るまで脈々と生き続けている。またマジックもバードもバルセロナ五輪においてNBAの世界的な人気を決定付けるために、現役選手として最後の貢献を果たした。
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