マジックの快挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:17 UTC 版)
「1979-1980シーズンのNBA」の記事における「マジックの快挙」の解説
1980年代の到来を告げる1979-80シーズンは、ラリー・バード率いるボストン・セルティックスとマジック・ジョンソン擁するロサンゼルス・レイカーズ一色に染まったシーズンとなった。周囲はプレーオフでも両チームが勝ち抜き、ファイナルは前年のNCAAトーナメント決勝の再現になることを期待した。 ロサンゼルス・レイカーズは1970年代前半にエルジン・ベイラー、ウィルト・チェンバレン、ジェリー・ウェストらが立て続けに引退し、1972年を最後に優勝から遠ざかっていた。1976年にカリーム・アブドゥル=ジャバーが加入したことでレイカーズが再び栄光を取り戻すかに思われたが、彼が加わった年のレイカーズは勝率5割すら上回ることができなかった。1977年には優秀なポイントガードのノーム・ニクソン、元新人王のジャマール・ウィルクスが加入し、チーム成績は少しずつ上昇していくが、優勝とは程遠く、やがてジャバーには批判が集まるようになり、ジャバーは自分の殻に閉じもこるようになった。 そして1979年、マジック・ジョンソンがレイカーズに入団。マジックは当時レイカーズに足りなかった"情熱"を持ち込んだ。マジックのNBA公式デビューとなった開幕戦のサンディエゴ・クリッパーズ戦では、ジャバーのスカイフックによるブザービーターが決まり、レイカーズが勝利した。劇的な勝利に、ロッカールームに戻ってもまるで優勝したようにはしゃぎ回るマジックに、呆れたジャバーは落ち着くよう窘め、まだシーズンは81試合も残っていることを言い聞かせた。それでもマジックの根っからの陽気さが、レイカーズに好影響を与えたのは確かだった。マジックはすぐにチームの中心となり、チームメイトからは"ヤング・バック"(YOUNG BUCK)と呼ばれるようになった。 しかしこの年のレイカーズは順風満帆ではなかった。14試合(10勝4敗)を消化した時点で、ヘッドコーチのジャック・マッキーニが交通事故に遭い、重傷を負ってしまったのである。後任にはポール・ウェストヘッドが就任した。さらにシーズンが進むにつれて、新人のマジックがボールを独占し過ぎると、同じポジションのノーム・ニクソンが不満を漏らすようになった。マジックはプレイの改善に努め、またニクソンもシューティングガードへのコンバートに応じ、ウェストヘッドのコーチ就任後は50勝18敗、通算で60勝22敗の好成績でシーズンを終えた。情熱を取り戻したジャバーは史上最多となる6度目のシーズンMVPを受賞した。 プレーオフに入り、レイカーズは他を寄せ付けない強さを見せた。シーズン55勝のフェニックス・サンズ、56勝で前季のチャンピイオンチームであるシアトル・スーパーソニックスをいずれも4勝1敗で破り、ファイナルに勝ち進んだのである。 一方、東から勝ち上がってきたのはセルティックスではなかった。レイカーズとセルティックスの新時代到来に待ったを掛けたのが、70年代NBAの残照であるフィラデルフィア・76ersである。レイカーズ、セルティックスと並ぶ名門チームである76ersは70年代半ばから再び力を付け出し、1976年にはABAの吸収合併でジュリアス・アービングを獲得し、一気に強豪の座を取り戻した。以後2度ファイナルに進出するも、優勝は叶わなかった。3度目の正直となるこの年にはエースのアービングを始めとする優秀な選手が揃っていた。華麗なスラムダンカーであるアービングに対し、破壊的なスラムダンカーで知られた76ers生え抜きのダリル・ドーキンスは、このシーズンもゴールのバックボードを2回も破壊した。スモールフォワードでシックスマンのボビー・ジョーンズは優れたディフェンダーであり、驚異的な跳躍力の持ち主で速攻の一番手だった。さらに76ersが得意とした速攻を操るポイントガードのモーリス・チークス、フォワードのスティーブ・ミックス、シューターのライオネル・ホリンズはこのシーズン怪我に泣いたダグ・コリンズのバックアップを務め、コールドウェル・ジョーンズはドーキンスと共にインサイドを固めた。ヘッドコーチはアービング以前の76ersのエースだったビリー・カニンガムが務めた。 攻守両面において、また若手とベテランにおいてバランスの良いチームに仕上がった76ersは59勝23敗とセルティックス、レイカーズに次ぐ成績を残し、プレーオフではカンファレンス決勝でセルティックスを破って3年ぶりにファイナルに進出した。マジックのレイカーズとバードのセルティックスのライバル関係が注目される中で、両者に割って入る存在がこの76ersであり、当時の両チームにとって最大のライバルだった。セルティックスにとってはファイナル進出を狙う上で最大の障害がこの76ersであり、またレイカーズと76ersはこの年を含め、今後4年間で3度ファイナルで相対する。
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