中堅チーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:31 UTC 版)
1978年のスウェーデンGPや1980年のアメリカ西GPで2位入賞、1981年のアメリカ西GPではポールポジションを獲得するなど、パトレーゼが時折印象に残る成績を残すこともあったが、コンストラクターズランキングでは中位から下位といったポジションがほとんどであった。
※この「中堅チーム」の解説は、「アロウズ」の解説の一部です。
「中堅チーム」を含む「アロウズ」の記事については、「アロウズ」の概要を参照ください。
中堅チーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:46 UTC 版)
「1987年のF1世界選手権」の記事における「中堅チーム」の解説
ベネトンはBMWからフォードのターボエンジンにスイッチし、優勝こそなかったもののベテランのティエリー・ブーツェンとテオ・ファビのコンビが安定した戦闘力を見せ、3位表彰台2回を獲得した。翌年以降、フォードからワークス待遇でエンジン供給を受けることになる。 アロウズやブラバム、リジェなどの中堅チームも全てターボエンジンを搭載し、デレック・ワーウィックやエディ・チーバー、ルネ・アルヌーやリカルド・パトレーゼ、アンドレア・デ・チェザリスやピエルカルロ・ギンザーニなどの高い経験値を持つドライバーを擁した。 上位チームがリタイアしたレース(第3戦ベルギーGP・第14戦メキシコGP)でブラバムが3位表彰台2回を獲得するほか、予選では中嶋やヨハンソンを食うことも多かったが、シーズン全般的には3チームともに速さ、信頼性が不足しており、上位チームを脅かすまでには至らなかった(ブラバム:入賞3回・獲得ポイント数10 アロウズ:入賞6回・獲得ポイント11 リジェ:入賞1回・獲得ポイント1)。特にこの年低迷したリジェは、そのまま低迷期を迎えることとなった。
※この「中堅チーム」の解説は、「1987年のF1世界選手権」の解説の一部です。
「中堅チーム」を含む「1987年のF1世界選手権」の記事については、「1987年のF1世界選手権」の概要を参照ください。
- 中堅チームのページへのリンク