ベネトン
イギリスのコンストラクター。イタリアのアパレル産業の雄ベネトンが、1983年からスポンサーとしてF1に参入。やがてトールマンを買収し、チーム名をベネトンに変更して86年から参戦を開始、その年のメキシコGPでは早くもゲルハルト・ベルガーがチームに初勝利をもたらした。94、95年にはミハエル・シューマッハーが2年連続ドライバーズ・チャンピオン(95年にはベネトンもコンストラクターのタイトルを獲得)に輝いたが、96年以降はシューマッハーや設計陣の相次ぐ離脱によって成績は下降線をたどった。2000年、以前からエンジンの供給を受けていたルノーに買収され、02年シーズンにはチーム名もルノーに変更されたことでベネトンの名前は消えた。
ベネトン
ベネトン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/13 06:53 UTC 版)
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業種 | ファッション |
---|---|
設立 | 1965年 |
創業者 | ルチアーノ・ベネトン |
本社 | 、 |
事業地域
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世界 |
主要人物
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製品 | |
売上高 | 15億2,900万ユーロ(2015年) |
従業員数
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7,714人 (2015年) |
ウェブサイト | www |


ベネトン (Benetton イタリア語: [benetˈton]) は、イタリアの企業グループである。
概要
1965年に、トレヴィーゾでルチアーノ・ベネトンにより創業された。当時のセーターといえば、地味な色のものばかりであったが、ルチアーノの妹、ジュリアーナ・ベネトンが作ったカラフルなセーターをヒントに得たことがきっかけとされる。現在のベネトンの特徴とされているカラフルな色遣いは、第二次世界大戦直後の暗い世界から早く脱却したいというルチアーノの強い思いが強く込められていたといわれる。2015年時点で世界60か国で展開する「ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトン (UNITED COLORS OF BENETTON) 」を筆頭に、「SISLEY」や「プレイライフ」「Killer Loop」などの服飾ブランドを展開する。
配下には、スキー用品のノルディカ、ローラーブレード、高速道路社アウトストラーダおよび高速道路のサービスエリアから展開したレストランチェーンの「アウトグリル(Autogrill)」 などがある。かつてはF1チーム「ベネトン・フォーミュラ」も抱えていたが、2000年にルノーに売却した。
2008年には、シンガポール政府投資公社(GIC)がベネトン家の持株会社であるシントニアの株式の14.3%を取得することがシントニアによって発表された。
歴史
1965年 - 1978年
1980年代
- 1980年マディソン・アヴェニューにニューヨーク初出店
- 1982年東京に初の日本店舗オープン
- 写真家オリビエーロ・トスカーニとのコラボレーションがスタート。
- 1983年ティレルチームのスポンサーとしてF1に参加。
- 1984年アルファロメオチームのスポンサーとしてF1に参加(1985年まで)。
- 1985年ベネトンの広告がフランスの“Grand Prix de la Publicite”に表彰される。F1のトールマンチームのスポンサーとなる。
- 1986年ミラノ、フランクフルト(1988年)、ニューヨーク(1989年)の株式市場で上場する。トールマンチームを買収し、Benetton Formula Limited(ベネトン・フォーミュラ)に改名してF1へ参戦開始。
- 1987年Fondazione Benetton Studi e Ricercheの設立と、the International Carlo Scarpa Prizeの設立
- 1989年東ヨーロッパおよび旧ソ連市場へ参入
1990年代
- 1991年雑誌『COLORS』創刊。4か国語で出版、40か国で販売。
- 1994年ベネトン・グループの コミュニケーション・リサーチ・センター「Fabrica(ファブリカ)」の創立。ミハエル・シューマッハがF1ドライバーズチャンピオンとなる。
- 1995年ミハエル・シューマッハが2年連続F1ドライバーズチャンピオン、F1コンストラクターズチャンピオンのダブルタイトルを獲得。
2000年代
- 2000年ベネトン・フォーミュラをルノーへ売却(ただし、2001年まで「ベネトン」としてF1に参戦)。
- 2003年ベネトン家は一族経営のスタイルを変え、マネージャー達により責任を与える
- 2006年10月10日 パリ、ポンピドゥー・センターにてFabrica: Les Yeux Ouverts(目を開け)というタイトルでベネトンのファッションショーの開催。
- 2008年インドのトレント(タタ・ファミリー)、メキシコのシアーズ(スリム・ファミリー)とのパートナーシップを結ぶ。Microcredit Africa がコミュニケーションキャンペーンを行う。
- 2009年イスタンブールにて近未来的なストアをオープン
- 2010年2月 IT'S MY TIME Global Casting Competitionを開始。36日で65,000人以上の参加者、217か国の海外から関心を集め、ウェブサイトは約400万人の訪問者、閲覧件数約6千万を記録
- 4月-グローバルファッションコミュニティIT'S MY TIMEを開始。
- 2011年 LANA SUTRA プロジェクト:イスタンブール、ミラノ、ミュンヘンとウェブサイトのベネトンコンセプトストアにてイベント。新しい世界的なコミュニケーションキャンペーンUNHATE(アンヘイト)を開始、パリにてアレッサンドロ・ベネトンがプレビューを公開。
- 2012年 ベネトングループの新しい社長アレッサンドロ・ベネトンが創始者ルチアーノ・ベネトンより引き継いだ。11月にFabricaの新しい社長となる。ベネトングループがミラノ株式市場より撤退。グローバル・キャンペーンUNEMPLOYEE OF THE YEARの開始。ロンドンにてアレッサンドロ・ベネトンがプレビューを公開。
- 2013年 ユナイテッド カラーズ オブ ベネトンの2013年SSのキャンペーンではファッションアイコンの若手アーティストを9人起用。同ブランドらしいあざやかな色使いのキャンペーンにモデルとして起用されたのはHanna Ben Abdesslem(ハナ・ベン・アブデスレム)、Kiera Chaplin(キエラ・チャップリン)、Charlotte Free(シャーロット・フリー)、Mario Galla(マリオ・ガラ)、Dudley O’Shaughnessy(ダドリー・オショーネシー)、Matias Perdomo(マティアス・ペルドーモ)、Lea T(リー・T)、Alek Wek(アレック・ウェック)、Elettra Wiedemann(エレットラ・ヴィーデマン)。フォトグラファーにはFabricaのGiulio Rustichelli (ジュリオ・ルスティケリ)を起用。
- 2014年12月 「ニットがつなげるみんなの輪 ベネトンO・SO・ROキャンペーン」として、女優・モデル・アーティストとして活躍する土屋アンナと、長年彼女のバンドメンバーとして連れ添って信頼しているギタリスト・牧野雄至がキャンペーンモデルをつとめた。日本限定アイテムとしてニット、マフラーなどがキャンペーン商品として発売された。
- 2024年10月 日本市場から撤退することを同国法人の公式Instagramにて発表した[1]。
広告
- 1984年にはじまるベネトンの広告キャンペーンはオリビエーロ・トスカーニがアートディレクションを務める。その内容は人種差別、戦争、エイズ、環境破壊、リサイクル、難民や虐待等、全世界共通の問題をテーマにしたものがみられる。ファッションの広告として商品ではなく、社会問題を扱う広告として注目を集めるものとなっている。1993年1月には、ルチアーノ・ベネトンのヌード写真と「わたしの服を返してください」という惹句で服のリサイクルを呼び掛けるポスターを制作している(『日本の広告クリエイティブ100選』、株式会社宣伝会議、2017年11月10日)。
- 2011年11月、ブランドのコミュニケーションキャンペーン「UNHATE」が、2012年6月17日~23日に開催された「カンヌ国際クリエイティブフェスティバル2012」で、プレス部門のグランプリを受賞した。ベネトングループの会長アレッサンドロ・ベネトンはこのニュースについて、「UNHATEキャンペーンで、私たちは、コミュニケーションと相互理解を通じて、憎しみ合う文化を乗り越える必要性について世界にメッセージを送りたかった。これを伝えるために私たちはオンラインインタラクションを通してもっとも民主的で現代的なメディアをつかうことにした。」と述べた。
広告キャンペーン問題
2011年11月16日より行った「Unhate(反・嫌悪)」をスローガンにした広告キャンペーンにおいて、ローマ教皇とイスラム教指導者のアフマド・アッ=タイイブ師、アメリカのバラク・オバマ大統領と中華人民共和国の胡錦濤国家主席、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とパレスチナのマフムード・アッバース自治政府議長、フランスのニコラ・サルコジ大統領とドイツのアンゲラ・メルケル首相らという、それぞれ対立している、または立場が違う指導者同士がキスする合成写真を使用し物議を醸す。特にローマ教皇の合成写真については、教皇庁が掲載中止を求めて法的措置を取る考えを表明した[2]。
ブランド展開
日本ではメンズ、レディース、キッズ展開している。
ライセンス商品
現在、以下の企業とライセンス契約を行っている。
- コンドーム、ビデ:オカモト株式会社
- ※毎年12月1日の世界エイズデーではコンドームを配布している。
- 小学生・中学生・高校生用スクールユニフォーム:瀧本株式会社
- 水着、水着周りグッズ:ニッキー株式会社
- 自転車、三輪車、アウトドア用品、レイングッズ:パール金属株式会社
- 学童用鞄全般(ランドセル、スクールバッグ)、トラベルバッグ、トラベルケース、バッグ(婦人):株式会社マツモト
- ベルト、 バッグ、 財布(全て紳士):株式会社モノーロ
- タオル、バスローブ、バスマット、トイレタリー:丸眞株式会社
日本国内店舗
- オンラインストア
- ベネトン オンラインストア
- ベネトン ZOZOTOWN
- ベネトン MAGASEEK
- ベネトン Rakuten Fashion
脚注
- ^ “ベネトンが日本撤退発表 イタリア発のブランド「ショック」「かなしい」SNSにコメント相次ぐ”. 日刊スポーツ (2024年10月24日). 2024年10月24日閲覧。
- ^ “ローマ法王の「キス写真」、バチカンが法的措置へ”. ロイター. (2011年11月18日)
関連項目
- モータースポーツ
- ベネトン・フォーミュラ
- オリビエーロ・トスカーニ
- フラビオ・ブリアトーレ
- ベネットン・ラグビー(ラグビークラブ)
- ベネトン・パッラカネストロ・トレヴィーゾ(バスケットボールクラブ)
- シスレー・バレー(バレーボールクラブ)
- エディツィオーネ・ホールディング
外部リンク
ベネトン(1987年 - 1993年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 14:07 UTC 版)
「パット・フライ」の記事における「ベネトン(1987年 - 1993年)」の解説
学生時代はコンピュータデザインや電子工学を学び、1980年から電機メーカー「Thorn EMI」で働く。 1987年、ベネトンの研究開発部門に加入し、アクティブサスペンションの開発に携わった。その後、テストチーム勤務を経て、1992年にマーティン・ブランドル担当のレースエンジニアとなった。
※この「ベネトン(1987年 - 1993年)」の解説は、「パット・フライ」の解説の一部です。
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