ベネトンからのF1デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 03:58 UTC 版)
「ヨス・フェルスタッペン」の記事における「ベネトンからのF1デビュー」の解説
F1チームによる争奪戦の結果、ベネトンのマネージング・ディレクターを務めるフラビオ・ブリアトーレとドライバーマネージメント契約を結び、1994年は有力チームであるベネトンのテストドライバーに就任した。 しかし、シーズン前のテスト中にレギュラードライバーのJ.J.レートが負傷したため、開幕戦ブラジルGPで急遽F1デビューを果たす。デビュー戦ではエディ・アーバインに幅寄せされて4台が絡む接触事故を起こし、宙を舞う大クラッシュを喫す(アーバインは事故原因を作ったとして3戦出場停止処分)。 第3戦サンマリノGPからテストドライバーに戻るが、不振のレートに代わり第7戦より再びレギュラーシートを得る。第9戦ドイツGPではこの年から導入された給油ピット作業中に漏れたガソリンに引火し、マシンごと炎に包まれる。それでも続くハンガリーGPでは初入賞・初表彰台3位を記録。ベルギーGPでも2戦連続3位となったが、チームメイトのシューマッハがレース後に車両規定違反で失格したための繰り上がり3位だった。 シーズン終盤、ベネトンとウィリアムズのコンストラクターズタイトル争いが白熱すると、セカンドドライバーの貢献度が注目された。ウィリアムズは新人のデビッド・クルサードに代えて1992年王者のナイジェル・マンセルを起用し、ベネトンもリジェからジョニー・ハーバートを移籍させたため、フェルスタッペンは再度シートを降ろされてしまう。初年度はベネトンのチーム人事に翻弄され、翌年のレギュラー契約も果たすことはできなかった。
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