シャーシ履歴とは? わかりやすく解説

シャーシ履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/10 00:19 UTC 版)

フェラーリ・F2004」の記事における「シャーシ履歴」の解説

F2004234から241の8台が製造された。このうち実際にレース出走したモノコック234 - 236,239 - 241の6台だった。237は第2 - 5,7,8,10 - 13戦でスペアカーとして、第9戦Tカーとして持ち込まれるとどまり238テスト専用シャーシだった。 なお、234は、2005年6月28日フィオラノ開催されオークション出品された。 レースカーシャーシ一覧年ドライバー123456789101112131415161718AUSMALBHRSMRESPMONEURCANUSAFRAGBRGERHUNBELITACHNJPNBRA1 ミハエル・シューマッハ 234 234 234 234 234 234 239 239 239 239 239 239 239 239 239 239 239 239,241 2 ルーベンス・バリチェロ 236 236 236 236 236 235 235 235,236 236 240 240 240 240 240 240 240 240 240

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シャーシ履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:20 UTC 版)

ロータス・91」の記事における「シャーシ履歴」の解説

918788基本的に共通のモノコック使用されているので、シャーシ・ナンバーも8887からの連番となっている(88用として作られタブは、フロント部に空力シャーシラダー部分上下動するための切り欠きがある)。91/6から91/10までが新しく作られ、87/5が91/5へとコンバートされた。日本コレクター売られた91/6と「タブ出来悪かった」91/9以外のモノコックは、その後9294Tとしても使用された。8887と後にコンバートされ92含めて10全て現存する

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シャーシ履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 23:02 UTC 版)

ロータス・49」の記事における「シャーシ履歴」の解説

49シリーズは9台製作され、うち7台が現存する損傷したマシン再生する際シャーシナンバーを更新したため、シャーシナンバーは12まで登録されている。最後の9台目 (R12) はイギリス・フォード展示車として製作されレースには出走していない

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 19:21 UTC 版)

マクラーレン・MP4/4」の記事における「シャーシ履歴」の解説

MP4/4はMP4/4-1からMP4/4-6までの6台が製造された。開幕戦ブラジルGPにはMP4/4-1からMP4/4-3までの3台が用意された。MP4/4は、MP4/4-3を除く5台が勝利を挙げたシーズン終了後、翌シーズンからの自然吸気エンジンテスト用のシャーシが3台新造された。これらはMP4/4Bと呼ばれ、インダクションポッド付きボディカウルまとった車両用いてテストが行われた。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/17 19:02 UTC 版)

ベネトン・B189」の記事における「シャーシ履歴」の解説

1989年、B189はシャーシナンバー1から6までの6台が投入された。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 21:41 UTC 版)

ベネトン・B188」の記事における「シャーシ履歴」の解説

B188は8台が製造された。

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シャーシ履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 17:38 UTC 版)

ロータス・79」の記事における「シャーシ履歴」の解説

79は5台製作され、5台とも現存するそのうち2号車 (J.P.S.20) と3号車 (J.P.S.21) はチャップマン家の長男クライブ運営するクラシック・チーム・ロータスが管理している。 1978年シーズンには1 - 4号車 (J.P.S.19 - J.P.S.22) の4台が製造された。1977年12月製造され1号車 (J.P.S.19) と異なり2号車以降シャーシ大柄なピーターソンあわせてシャーシ寸法見直し図られている。1号車シャーシも後に改造された。 アンドレッティ2号車でデビューウィンを飾ったのち3号車乗り換え2号車ピーターソン専用となった第13戦オランダGPより4号車 (J.P.S.22) がアンドレッティ与えられた。なお、4号車クラッシュにより損傷した3号車部品新造シャーシ使用している。後に3号車修復され実戦復帰したピーターソン事故死後、アンドレッティ3号車、ジャリエは1号車使用した1979年シーズンではML23の1台が製造された。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 06:07 UTC 版)

ザクスピード・841」の記事における「シャーシ履歴」の解説

841は2台が作製された。 最初モノコック1号車)は1984年5月から6月にかけて作製され9月車両公開されるとそれ以後テストおよび1985年レース使用された。2号車1985年フランスグランプリ初め持ち込まれ、このレースから1号車スペアカーとして使用された。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 22:32 UTC 版)

ロータス・25」の記事における「シャーシ履歴」の解説

25シャーシは7台が製作され、順にR1〜R7という車輌コード付けられている。デビューシーズンの1962年にはR5までの5台が製作され、R1はクラッシュにより破棄された。1963年にはR2、R5もクラッシュし、R6R7の2台が追加製作された。1964年にはR3R7がレグ・パーネルに売却されチーム・ロータスR4R6使用した1965年にはR4もレグ・パーネルに売却された。R5はチーム・ロータスメカニック、セドリック・セルザーの手により後年リビルドされた。 クラーク25乗って挙げた14勝と、使用したシャーシ内訳以下の通り。 R1 1962年ベルギーGP R2 1962年イギリスGP R3 1962年アメリカGP R4 1963年ベルギーGPオランダGPフランスGPイギリスGPイタリアGPメキシコGP南アフリカGP R6 1964年オランダGPベルギーGPイギリスGP1965年フランスGP R41963年の7勝すべてを記録した個体として歴史的価値が高い。レグ・パーネルに売却された後ベルギーGPクラッシュし、モノコック修復された。この際シャーシコードがR13に変更され、「パーシー (Percy) 」というニックネーム呼ばれた。F1での使用が終わるとニュージーランドレーサー売却されタスマンシリーズやローカルレースに出走した2008年、R4/R13はオーストラリアシドニー開催されオークションで1,525,500ドル保険料込み、約1億4700万円)で落札された。R4/R13とR7現役マシンとしてヒストリックフォーミュラレースに出場しており、チャップマン家が経営するクラシック・チーム・ロータスがメンテナンス行っている。

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シャーシ履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 01:34 UTC 版)

ティレル・012」の記事における「シャーシ履歴」の解説

012は1983年に2台、1984年に3台、1985年に2台が製造され3年間で7台がレース投入された。シャーシナンバー1と4の2台は1985年シーズン前にバロン・レーシングに売却されロベルト・モレノクラウディオ・ランジェスがこのマシンF3000参戦した

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