1978年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:56 UTC 版)
1978年は、ヤマハNVは日本からYZR500を約1500万円で購入してそれを片山に与え、片山は500ccクラスと350ccクラスに参戦することになる。ヨーロッパのヤマハNV(オランダ)は日本のヤマハ発動機の現地法人であるが、経営は独立採算制になっているため、YZR500を日本のヤマハ発動機から購入しなければならなかった。また、今シーズンのカワサキKR350はとても速く、3気筒TZ350でもかなわなかった。ヤマハNVから与えられたYZR500も、日本のヤマハのワークスマシンのYZR500とは異なるものであった。 350ccクラスでの片山は、サン・カルロス(ベネズエラGP)とニュルブルクリンク(ドイツGP)で優勝して年間ポイントを77獲得し、年間ランキング2位となる。同年のチャンピオンはカワサキのワークスマシンKR350に乗るコーク・バリントンで、6回優勝して年間ポイントを134獲得した。ニュルブルクリンク(西ドイツGP)ではカワサキKR350を駆るコーク・バリントンと死闘を繰り広げ、最後の3周はコークとテールツーノーズでの接戦となり、フレームを折りながらも、トップでチェッカーを受ける。レース後、TZ350のタンクを外して点検するとフレームが折れていた。片山はコークに 「3回も転倒しそうになった」 と話すと、コークも 「わかっていたよ。オレも転がりそうになった」 と言って笑った。この年、二度目のチャンピオンを獲得するチャンスは有ったが、コーク・バリントン+カワサキKR350の速さに屈する。 1978年シーズンの片山のランキングは、350ccクラス2位、500ccクラス5位であった。各レースの結果は次のとおり。 Rd. グランプリサーキット350ccクラスの結果500ccクラスの結果1 ベネズエラ サン・カルロス 優勝(3気筒TZ350のトラブルによりニコ・バッカー製フレームのTZ350で走る) リタイア(先頭を走るが転倒) 2 スペイン ハラマ 3位 3 オーストリア ザルツブルクリンク 3位(KR350圧勝) リタイア(マシントラブル) 4 フランス ノガロ(3.120km) 36周 112.15kmリタイア(ピストン破損) 40周 124.70kmリタイア(転倒) 5 イタリア ムジェロ(5.241km) 25周 131.02km3位(2台のKR350が圧勝) 29周 151.99kmリタイア 6 ダッチTT アッセン リタイア 4位(キャブレタートラブル) 7 ベルギー スパ・フランコルシャン 6位 8 スウェーデン カールスコーガ 3位(KR350が1-2フィニッシュ) 3位 9 フィンランド イマトラ 2位 2位 10 イギリス シルバーストン リタイア 9位 11 西ドイツ ニュルブルクリンク 優勝(コーク・バリントンと死闘) 5位 12 チェコスロバキア ブルノ 6位 片山は500ccマシンでも350ccマシンを走らせるときと同じようなライディングをしていたために500ccマシンでは思ったように速く走ることができなかった。その上、片山に貸与されたYZR500よりもRG500の方が速かった。片山はRG500に乗るパット・ヘネンに次のように言われた。 「おまえの500はカメより遅い」(パット・ヘネン)
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1978年シーズン
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「ヘスケス・308E」の記事における「1978年シーズン」の解説
メインスポンサーにカメラメーカーのオリンパスを迎え、マシンも前年からの使用となったが、ディビナ・ガリカ(第1-2戦)、エディ・チーバー(第3戦)、デレック・デイリー(第4-6戦)がドライブするも、決勝進出はチーバーのみで、それ以外のレースは予選落ち、予備予選落ちと散々な成績に終わり、第6戦ベルギーグランプリ終了後にチームは撤退した。
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