王位継承問題と婚姻問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 09:35 UTC 版)
「エジプト第18王朝」の記事における「王位継承問題と婚姻問題」の解説
しかしトゥトアンクアメン王が後継者を残さないまま治世9年で死亡してしまったため王位継承問題が発生した。これに関連した事件の記録がヒッタイトに残されていた。その記録によれば、エジプトの王妃「ダムハンズ」がヒッタイト王スッピルリウマ1世の下へ、ヒッタイト王子をエジプトに送り自分と結婚させてほしいという要請を出したという。スッピルリウマ1世はこの要請を訝しんだが、繰り返し「ダムハンズ」の要請を受けたために、遂に王子ザンナンザをエジプトへ派遣することを決定した。ところが、ザンナンザはエジプトに向かう途中、シリア地方でエジプト人(ホルエムヘブか?)によって殺害されてしまった。ザンナンザ王子の殺害はスッピルリウマ1世を激怒させ、別の王子アルヌワンダ2世の指揮の下にヒッタイト軍がエジプト領シリアに侵攻した。エジプト軍は初戦で敗れたが、幸いにもヒッタイトで発生した疫病のために大きな損害を出すことなく戦いは一時終了した。 こうして外国人がエジプト王座を継承する可能性は排除され、宰相アイがトゥトアンクアメンの元王妃アンケセンアメンと結婚して王位を継承することになった。アイはアクエンアテンの王妃ネフェルティティの父であり、アンケセンアメンの母方の祖父に当たる。アイはトゥトアンクアメンの葬儀を取り仕切り、正統性の確保に努めたが高齢のため治世わずか4年ほどで死去した。 そしてアイ王の地位を継承したのは将軍ホルエムヘブ(前1321 - 前1293)であった。ホルエムヘブはヘラクレオポリス出身で早くから頭角を現した軍人であったが、その経歴はよくわかっていない。少なくてもアメンヘテプ3世の時代に軍総司令官の座についていた。恐らくアジア地域における数々の軍功が彼の即位を周囲の人々に納得させたものと考えられる。彼はアイ王の娘でネフェルティティの妹であるムトネジメトと結婚して王家との血縁を確保した。 ホルエムヘブも高齢での即位であったが、彼に与えられた時間はアイ王のそれよりずっと長く、多くの治績を残すに十分であった。ホルエムヘブにとって最重要の課題は、アクエンアテン王のアマルナ革命以来の政治的変動によって混乱していた官僚制の整備であり、半ば慣習化していた数々の「不正行為」を取り締まるとともに、「軍隊のえり抜き」を官僚・神官に任命し、さらに「世襲貴族こそ有能な官僚を供給してきた」として、官位の世襲権を尊重することとした。 アメン神官団の動向には極力注意が払われ、プタハ神殿やラー神殿に対する保護によって神官勢力のバランスを保つ方策を採った。こうしたホルエムヘブの活躍によってエジプト新王国の繁栄は次の時代になお受け継がれていく事になる。 ホルエムヘブは30年近く統治したが、嗣子がなかったため王の親しい友人であり有力者であった宰相ラムセスが王位継承者に選ばれた。ホルエムヘブの死に伴ってさしたる混乱も無くラムセスが王位を継承(ラムセス1世)した。彼以後は慣例的に第19王朝に分類されている。
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