王位継承権問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:17 UTC 版)
未婚で子供のいなかったエリザベス女王はその生前において後継者を指名することを断固として拒否した。多くのカトリック教徒らは、彼女のいとこでスコットランド女王のメアリーこそが正当な王位継承者であると考えていたが、彼女は1587年に反逆罪で処刑された。継承問題に際しては、エリザベスの晩年に国王秘書長官(英語版)ロバート・セシルが、メアリーの息子で後継者であるスコットランド王ジェームズ6世と秘密裏に交渉していた。その結果、1603年3月24日のエリザベスの死の数か月前には、ジェームズの王位継承が密かに内諾されていた。 イングランド国外に亡命したカトリック教徒の中にはスペイン国王フェリペ2世の娘イサベルがエリザベスの後継者に相応しいと考える者もいた。また、穏健派カトリック教徒の中には、ジェームズとエリザベスの従姉妹にあたるアラベラ・ステュアートに期待している者もいたエリザベスの健康状態が悪化すると、政府は「主要な教皇派」と思われる者たちを拘束し、さらに枢密院は心配のあまり、アラベラが教皇派に誘拐されるのを防ぐために彼女をロンドン近郊に移動させた。これは決して杞憂ではなく、実際にアラベラを王位につけようとした後述するメイン陰謀事件が存在した。 このように後継者候補には異論もあったが、上記の準備によって1603年3月24日のエリザベスの死に際して、王位継承の作業は円滑に行われた。同日、セシルはジェームズ6世への継承を布告し、のち7月25日にイングランド王及びスコットランド王ジェームズ1世として戴冠した。これは一般に祝福された。教皇派の有力者たちもまた、予想されていたような事件を起こすどころか、新君主への熱烈な支持を表明した。イングランド国内で発見されれば死刑に処されるイエズス会の司祭たちすら、「自然の摂理」を体現していると広く信じられていたジェームズへの支持を表明した。 約半世紀にわたってイングランド人たちは、王位継承者を指名しない君主の下で暮らしていたが、ジェームズには明確な継承権者を持つ家族がいた。彼の妻であるアン・オブ・デンマークは王の娘であった。彼らの嫡男である9歳のヘンリーはハンサムで自信に満ちた少年だと思われており、またその妹と弟であるエリザベスとチャールズも含めて、ジェームズがプロテスタントの君主を続けるための王位継承者を用意できていることを示していた。
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