王位継承争いと王権理念の再編
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「ボスポロス王国」の記事における「王位継承争いと王権理念の再編」の解説
拡大を続けた王国は紀元前310年にパイリサデス1世が死去すると王位継承の争いやスキタイ人などとの争いが生じて国内が混乱した。 パイリサデス1世の死後サテュロス、プュリタニス、エウメロスらによって王位が争われ、最終的にはエウメロスが地位を得たが、この争いにはスキタイ人やサルマタイ人などが大きな役割を果たした。この頃になると王の称号も「ボスポロス王」というシンプルな物となり、またギリシア人植民市がポリスとして持っていた自治権は次第に縮小した。 またギリシア本国ではマケドニア王国が勢力を拡大しておりアレクサンドロス大王の下でアケメネス朝ペルシアが打倒された。この結果、ギリシアとオリエントの間の交易は著しく拡大し、このことはボスポロス王国の輸出に打撃を与え、その弱体化を齎した。紀元前2世紀頃にはスキタイ人など遊牧民への貢納が義務付けられている。
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