王の称号
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『三国史記』及び『三国遺事』では金大問(8世紀の新羅の学者)の解説として、「次次雄」は「慈充」ともいい、巫(シャーマン)を表す語とし、鬼神に仕えるシャーマンへの畏怖から転じて尊称になったとする。また、こうした称号に現われることから、新羅初期の社会はシャーマニズムの支配する部族社会であったと見られている。
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王の称号
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クシャーナ王国の包括的・融合的性格を端的に示す特徴の一つに王の称号の記載方法がある。王国では、諸民族が君主に用いた多様な称号を、そのまま採用した。 例えば、カニシカの称号の一つは、「シャーヒ・ムローダ・マハーラージャ・ラージャ=アティラージャ・デーヴァプトラ・カイサラであるカニシカ王」であった。「シャーヒ」は月氏の伝統的な言葉で、王を示す。「ムローダ」はクシャーナ族の前にインドを支配したサカ族の言葉で、首長を示す。「マハーラージャ」はインドの言葉で、大王を示す。「ラージャ=アティラージャ」はイランに由来する言葉で、諸王の王を示す。「デーヴァプトラ」は中国に由来する言葉で、「デーヴァ」は神、「プトラ」は子の意味で、両方をつないで天子の意味となり、中国の「天子」をインドの言葉に翻訳したもの。「カイサラ」はラテン語でのカエサル(帝王)を示す。 他に、中央アジア系の称号であるヤクブ(翕侯)、ペルシャ語のシャー(王)、ギリシャ語のバシレオス(王)なども用いた。
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