王の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 23:14 UTC 版)
マウリヤ朝の王は、初代王となったチャンドラグプタの側近であったカウティリヤの思想の影響を強く受けたといわれている。彼は『実利論』として知られる著作を残しており、後世のイタリアの思想家マキャヴェリとよく比較される。 …王は眠りより覚めた時、弓を持つ女達によって囲まれる。第2室において衣を奉ずる者、冠を奉ずる者、老いた宦官、下僕によって囲まれる。第3室において背虫、侏儒(小人?)、林に住む人によって囲まれる。第4室において顧問官、親族、槍を持った門兵によって囲まれる… — 『実利論』 この実利論の文章はあくまで机上のものであり、また後世変更が加えられている可能性もあるが、当時のあるべき王の姿の一端を見せるものである。 ギリシア人メガステネスの記録によれば、王は諸々の陰謀に備えるために昼間に眠るような事はなく、暗殺を恐れて寝台を常に移動させていたという。裁判のために外出した時には一日それを妨げることを許さず、時に按摩をされながら訴訟を聞き続けたという。また、アショーカ王は自身の残した碑文の中で、いつ如何なる時でも上奏と裁可を絶やさない事を宣言している。 マウリヤ朝の初期の王達は狩猟を頻繁に行った。特に2,3人の女性を伴って狩猟に向かったが、移動の際には王が通る道は縄で区切られ、その中に侵入した者は死刑となった。狩猟の際には王は囲いの中で台座から獲物に矢を放つが、囲いの無い場所で狩猟をする際には象の上から矢を放ったという。チャンドラグプタ時代の宮廷の様子を記したメガステネスの記録は、その物々しさを伝えている。 当時、王が狩猟を行うことの是非について論争があり、狩猟をすべきだという主張が採用された。この論争の際、カウティリヤは王の心身の鍛錬に有効であるとして狩猟を大いに奨励し、チャンドラグプタ王からアショーカ王の時代まで王が各地に巡幸して狩猟を行うことが慣習化されていた。狩猟の習慣はアショーカ王の治世10年に廃止され、代わりにダルマに基づいた政治を各地に伝え、それが実際に行われているかどうかを見て回る「法の巡幸」が行われるようになった。
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