典雅さの世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 13:04 UTC 版)
絶対王権主義のもとで、文化における宮廷の比重は増した。最も典型的なものはルイ14世のフランス宮廷、とりわけヴェルサイユに造営した離宮での宮廷文化である。すでに啓蒙時代に先立ち、フランスでは洗練と才気を重んじるプレシューズ(才女たち)の主宰するサロンを中心とする文化が存在しており、サロンはこの時代にも文化の発信点であったが、その最大のものがルイ14世のヴェルサイユ宮殿であった。ヴェルサイユ宮での王の生活は、起床から就寝までが事細かに規定され、多くの謁見者に取り巻かれた儀式的、演劇的なものであった。そのような王の生活のいわば典雅な装飾として、文芸、音楽、美術、その他あらゆる領域の芸術が動員された。王自身も芸術に強い関心をもち、自らの宮廷の芸術のありようについて細かに指示をした。ヴェルサイユ宮の庭園も王自身の設計になるものであり、「王が最も推奨する散歩の順路」があったほどである。ルイ14世は、後のパリ・オペラ座の母体となる劇場「アカデミー・ロワイヤル・ド・ミュジーク」を設置し、ピエール・ペラン台本による『ポモーヌ』を皮切りに、フランス・オペラの発信地としていった。またモリエールの死後、モリエールの一座を他の有力劇団と合併させ、王立劇団であるコメディ・フランセーズを組織。ラシーヌ、コルネイユ、モリエールらの書いた戯曲を宮廷で上演させた。 フランスはいわば西ヨーロッパの文化の中心となり、各地の宮廷ではフランス宮廷に倣って、その文化を移入した。一方で宮廷に直接関係のない市民階級のなかからは、市民的美徳を賞揚する作品も現れた。ルソーの『新エロイーズ』や、ドイツのレッシングの家庭劇などはその一例である。レッシングは啓蒙主義的な批判精神に基づいて『ハンブルク演劇論』を記し、フランス古典演劇を批判すると共に、新古典主義演劇が範とするアリストテレスの演劇理論に対し新たな解釈を試みた。
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