典雄之譚
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「Ghost of Tsushima」の記事における「典雄之譚」の解説
円浄(えんじょう|英:Enjo ) 典雄の兄。杉寺の僧兵で、同寺の守り手を務めていた。境井仁も以前から知っている人物で、彼は円浄を「猛き僧」と評している。 典雄によれば、仲間の僧兵たちと共に元朝に囚われていた時、典雄が処刑されそうになったの庇い、弟に代わって処刑されたという。しかし実は生きており、元朝占領下の杉寺で拷問を受けて四肢を切り落とされた姿で発見される。その後、典雄の身の安全と引き換えに、法心という優れた薬師がいることや杉寺の情報を元朝に流していたことを告白し、殺して欲しいと典雄に頼んだ後、頼みを受け容れた弟の手によってこの世を去る。 円浄は住職の黄明を父親のように慕っていた。典雄は兄・円浄に倣って僧兵になったと言う。 法心(ほうしん|英:Hochi ) 声 - (日)佐々木睦 杉寺の僧にして、赤島随一の薬師でもある。 暴力を嫌い、武具を持つことすら否定するため、僧兵である円浄や典雄らとは意見を異にしており、やや折り合いの悪いところもある。特に、精神修養の足りていない典雄などは、元朝に捕まった法心が口さがない態度で敵兵の怒りを買って殺されてはいまいかと心配してみせるが、漏れ出ているのは法心に対する彼自身の感情である。 薬師としての腕前と志は高く、佐渡国で時疫のあった際には、見捨てられた病人たちを進んで手当てした。また、苦しむ者ならば敵すら救うことを厭わない。 赤島にいたところを名高い薬師と知って探していた元朝に捕らえられた法心は、占領下の杉寺へ連行されようとしていたが、典雄と境井仁が追い付いて彼を救出した。杉寺の僧たちがまだ健在と信じている法心は、元兵だけでなく彼らを治療するためにも杉寺へ行くべきと考え、大人しく捕らえられていた。結局、法心は赤島へ戻ることになったが、元朝は部隊を整えて再び赤島に迫ってきた。あくまで非暴力を旨とする法心は金田城まで退くべきと主張するが、典雄と仁は首を縦に振らなかった。それならばと、法心も退く道は選ばず、赤島の村に留まって薬師の役目を果たすことになった。村の民を護りつつ元朝勢を迎え撃つ戦いが始まる。典雄と法心が民と共に寺に籠り、仁が外で戦っていたが、仁が食い止めていた兵たちとは別の部隊が寺を襲った。典雄は果敢に戦ったものの、法心は敵に後ろを取られた典雄を庇って身を投げ出し、矢を受けて落命してしまった。その勇敢さは、仁をして「お主らは並の武士より勇ましい」と言わしめるものであった。 黄明(こうめい) 杉寺の住職。機知に富んだ知恵者で人格者。「浮世草」の「典雄之譚」第5幕「血濡れの経典」に登場。 かつて僧たちの間で大きな諍いがあった際には、自らが姿を隠すことで双方に反省の時を与え、矛を収めさせている。僧兵の円浄と非暴力を旨とする法心が口喧嘩をした時には、黄明は昼夜を問わず石に怒鳴って見せて諭し、二人は己を恥じて仲直りしたという。そのようなことから、元朝に捕まっても連中を巧く丸め込むのではないかと、救出を図る典雄と境井仁は一縷の望みを抱いていた。 豊玉一帯にはびこる元朝に抗うため、櫛寺での抵抗戦に加勢に出ていたが、典雄と境井仁が駆け付ける前に防衛線は破られ、櫛寺の僧たちと同様、黄明も敗走を余儀なくされていた。典雄と仁は元朝に追われる黄明の行方を探りながら抵抗戦を続けたが、生きながら焼き殺されたと思しき僧の無残な遺体を見付けるなど、悪い予感しかしなかった。結果として、典雄たちは元朝の追手に先んじることができず、黄明を殺害されてしまう。黄明はしかし、遺される者たちを思って事切れる前に自らの血で法華経の文言を巻物に記していた。僧たちの心の支えであった黄明は亡くなったが、最後の言葉は、挫けることなく為すべきことに精進する力を改めて授けることになった。
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