武装中立同盟
武装中立同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 21:54 UTC 版)
「アメリカ独立戦争における外交」の記事における「武装中立同盟」の解説
第一次武装中立同盟は1780年から1783年にヨーロッパの海軍小国が結んだ軍事同盟だった。これはイギリス海軍の戦時政策としてフランスの密輸に益する中立国の船舶を無制限に捜索したことに対して中立国の船舶を守ることが意図されたものだった。 ロシア帝国のエカチェリーナ2世が独立戦争中の1780年3月11日(グレゴリオ暦2月28日)に武装中立を宣言して第一次同盟を開始した。これは、武器や軍需物資を除き、中立国が交戦国の国民と支障なく海洋貿易を行う権利を保証したものだった。ロシアは全海岸の封鎖を認めようとはしなかったが、個々の港のみの封鎖は認め、また交戦国の戦闘艦が実際にいるか近くに居る場合も認めた。ロシア海軍はこの宣言を執行するために地中海、大西洋および北海に各1戦隊を派遣した。 デンマークとスウェーデンはロシアの中立同盟提案を受け入れ、船舶に対する同じ政策を採用し、この3カ国は同盟を形成する協定書に署名した。この3カ国はそれ以外のことでは戦争の局外に留まったが、交戦国に自国の船舶が捜索されたときは共同で報復すると脅しを掛けた。1783年のパリ条約で戦争が終わった時、プロイセン王国や神聖ローマ帝国、オランダ、ポルトガル王国、両シチリア王国およびオスマン帝国が同盟に加盟する国となっていた。 イギリス海軍はこれらの国の艦隊を合わせたよりも優勢だったので、軍事手段としてのこの同盟はエカチェリーナ2世が後に呼んだように「武装中立」だった。しかし外交的には大きな重みがあった。フランスとアメリカ合衆国は新しい原則である自由な中立通商に対して直ぐに遵守することを宣言した。第四次英蘭戦争を戦った両国はそれとなくオランダを同盟外においておくためのものとその戦争を考えていたが、イギリスが公式に同盟を敵国と認めることは無かった。 第一次武装中立同盟はその後のナポレオン戦争で第二次武装中立同盟として引き継がれたが、大局的には成功せず、コペンハーゲンの海戦でイギリスが勝利したことで終わった。
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