同盟の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 08:53 UTC 版)
「英普同盟 (1756年-1762年)」の記事における「同盟の崩壊」の解説
1762年、イギリスが財政難で補助金とドイツ駐留軍をひきあげた。イギリスはパリ条約でフランスとスペインから占領した多くの植民地を獲得した。一方、プロイセンはシュレージエンを奪回した一方、さらなる領土の拡張はかなわなかった。両国は結局、単独講和に走った。 戦争の後、両国の関係は悪化した。アメリカ独立戦争ではイギリスがプロイセンに同盟を打診したが断られ、プロイセンは代わりに武装中立同盟と1764年の露普同盟を結んだがイギリスは孤立したままとなった。 独立戦争が終わった1780年代になると、両国は再度接近した。イギリスとプロイセンは1787年のバタヴィア革命(英語版)で協調、翌年にネーデルラント連邦共和国とともに三国同盟を結び、フランス革命の勃発後は対仏大同盟に参加した。
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